2011年11月26日土曜日

3者面談をしました

先週は金曜・土曜の学習指導をお休みし、生徒さん・親御さんとの3者面談日に充てていました。

中3生にとってはそろそろ志望校の決定の時期なので、現在の学力と学習状況から今後3ヶ月の伸びしろを考えて今後の方針のすり合わせをしました。

面談の際に私が気を払っているのは、思ったことと正確な情報をきちんと伝えるということです。

今回の場合は、11月の初頭に行った『北海道学力コンクール』の成績がたたき台。
結果だけではなく、一人ひとりの答案を再チェックし、どこが出来ていて点数が良くなったのか、どこを取ればされに点数が上げられるのかなどを事前に整理しておきます。
シグマゼミに通い始めたばかりの夏の時点ではぜんぜん出来なかった英語がかなり伸びている子もいれば、土曜講座の成果か理科がちょっと伸びた子も、数学で思いの外伸びて自信になったという子もいます。
もちろんその逆に、人より努力をしていてもなかなか点数に繋がらない子もいるわけで、そんな子にはなおのこと「どの科目のどこで点数を稼げるのか」をきちんと見せてあげる必要があると思っています。



さて、面談のメインは2ヶ月後に迫った入試願書提出に向けての志望校選定ですが、複数の生徒から聞いたのは、「学校の担任の指導がやたらと弱気だ」ということです。
もちろん受験生当人にとっては、高校受験がある意味で人生の大きな岐路になるわけですから、できるだけここで挫折感を味わわせたくはないという点では私も同じ思いです。
しかし、だからといって、まだ受かる可能性のある志望校から、より確実な1ランク下の学校(五分五分からほぼ100%くらいの落差)へ志望を変えればそれでいいかというと、そこについてはどうしても同意できません。
もちろん、受験に100%なんてことはありえないので、失敗のリスクはどうしてもついてまわります。
でも、それでも、冬休みまであと1ヶ月、願書の提出まで50日程度残っている今の時点から「こっちの方が確実だから下げとけ」とは、私の口からは絶対に言いたくないんですよね。

中には「多少低めの学校に、いい成績で入った方がモチベーションが保てる」という人もいます。
ですが、自分が高校の教員をしていたとき、入試上位で入学してきた子が高校1年の終わりにどれだけ成績を維持していたかというと、いとも簡単に追い抜かされていたりするわけです。
人間、目標もない状態で「頑張れ」とだけ言われても、そうそう頑張れるものじゃないですよ。
多少はきつい思いをするかもしれないような高い目標があってこそ、本当に頑張れるし、それだけのことをして初めて、結果に関わらず「自分はやりきった」と思えるんじゃないでしょうか?

妥協は最後のギリギリになってからでも十分間に合う"最後の手段"です。
それまでは、挑戦心の方を大切にしなければ、心の成長はありえないと思うんですよね。

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最後まで読んでいただきありがとうございます。
「学校の先生や塾の先生にはこう言われたけれど、実際どうなの?」って思っている方、セカンドオピニオンが必要であればシグマゼミへお問い合わせください。
高校で募集・成績処理・進路指導の全てを担当した者の意見をお伝えできるかと思います。。。

2011年11月1日火曜日

教師の仕事は

以前、スティーブ・ジョブズ氏のスタンフォード大学のスピーチを紹介しましたが、氏はプレゼンテーションの名手としても知られていました。
アップル社の商品開発は、発表会寸前まで一切の情報が出てこず、極秘にプロジェクトが進むのが通例です。
で、その発表会ではどれだけその商品が魅力的で生活を劇的に楽しく変えるものかということを、氏が実演を交えながらいかにも楽しそうに話すわけです。



当然の話ですが、このプレゼンテーションを行う目的は、いかに自社の開発製品が素晴らしいものかを伝え、購買意欲をわかせることです。
もし、プレゼンが終わった後で観客に「は?なにいってんの?」「よくわかんないんだけど」と言われた場合はソレはプレゼンの失敗。
そこで「それは観客の努力が足りないからだ」と開き直る会社って、ありますかね?

つまり、用意したプレゼンがまともに聞いてもらえない・印象に残らない状況というのは、すべてそれはプレゼンターの情報の提示の仕方、話の仕方、構成などに問題があるわけで、観客の資質ではなくプレゼンターの失敗だったということです。
というのは、会社で営業をする人にとっては当然のことですよね??


さて、
生徒から「うちのセンセー、どんどん先に進んでばっかりで内容わけわかんない」という話をよく聞きます。
また、「こういう課題やらされてるけどなんのためにやってんのかわかんない」とも聞きますし、「授業中、半分くらいの生徒が寝てるー」というのもよく聞く話。
もちろん、生徒の努力が足りていないという場合も往々にしてあります。
ただ、シグマゼミに来てそれを話す生徒は、1つ2つ要点をかいつまんで話せば、十分に理解できる能力があったりするわけです。
土曜講座なんかでは、3時間超の時間を休み時間無しでぶっ通しで講義・演習していたりしますが、それでもちゃんと最後まで集中力を途切れさせずに取り組んでいますしね。
それでも学校の授業に対して上のような不満が出るということは??

で、考えるわけです。
ついていけない生徒に問題があるのか、ついてこれないような授業を展開している方に問題があるのか。
課題の意味を考えられない生徒が多いだけなのか、課題の意味づけをきちんとせずにただやらせているだけなのか。
寝る生徒が悪いのか、寝るような退屈な授業しかできない教師が悪いのか。

学年集会にしてもそうですね。
「横で先生が監視していてうつむいてたら怒られる」と言っていましたが、よそ見をしている生徒・うつむいてる生徒が悪いんでしょうか、それともよそ見をさせ・うとうとさせるような退屈な話を10分以上もダラダラ続けている方が悪いんでしょうか?


<先生と生徒>という立場の違いで見たとき、先生が指導者の側に立つことは違いありません。
ですが、一方で<プレゼンターと顧客>というように見ると、プレゼンターの怠慢を全て顧客の責任にするということは、はっきり言って異常です。

教師と呼ばれていると<先生と生徒>の関係しか見えなくなるものですが、その一方でその人は<授業で生計を立てているプレゼンテーションの専門家>でもあるはずです。
一方的に押し付けるようなプレゼンに顧客がどれだけ困惑し迷惑しているか、もう少し気を払ってもらってもいいと思うのですが。。。


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最後まで読んでいただきありがとうございます。
<言うは易し行うは難し>って感じで、常々より良い授業・より良い運営方法を模索中ですが、まぁなかなか難しいですよね。

2011年10月18日火曜日

予想外だったこと

学力Bテストが終了し、何人かの生徒が採点された答案用紙を持って来てくれました。
生徒たちには全員に同じ事を言っているのですが、「できる問題を間違わない」コレが基本だと思っています。
答案を丁寧に見てみると、「これはこの前は解けてたでしょ」「これ、問題読み違えてるね」というのが結構あったりしますので、一概に点数が良ければヨシ、悪ければダメでは無いと思うんですよね。
苦手科目については、まずは"取るべき所"が確実に得点できていればいいのかなと。
その"取るべき所"をこれからの3ヶ月で増やしていけばいいというだけのことです。
もちろん2・3月の試験は一発勝負ですから、そんな悠長なことは言ってられませんが、今はまだ助走の途中なので「これは解けるはずの問題、解けなかったのならどこで間違えたのか」を丁寧に読み解いていくことが必要だと思います。


で、問題をザッと見せてもらったのですが、英語と社会で東日本大震災の話題が。社会はもうモロにという感じで。
もちろん、時事ネタを絡ませた出題というのは試験ではよくあることなので、世界遺産にどっかが選ばれればそこが試験でつつかれるというのは容易に予測されます。
が、今回の震災は大勢の犠牲者を出した大災害。
しかも、原発事故の影響が大きすぎて、現段階でまだ終息の気配すら見えていない状況。(ニュースでの扱いは小さくなってきていますが、それと終息とは別でしょう)
そして、被災地からは多くの人が全国各地に避難・移住をしてきているわけで。
そう考えると、タイムリーな時事ネタとは言え、その関連被害が多すぎて、試験の受験者の中にも被害者が含まれていることを考えると、全道統一の模試や学力試験など大きな試験では関連の出題を控えるじゃないかと思っていたんですよね。

自分や家族が被害を受けて避難している立場だとして、震災から半年、入試関連の問題にそれが出題されたとき、冷静に解けるんだろうかと。
繊細な子であれば、そこで手が止まっても、頭が真っ白になってもおかしくないと思うんですよね。
3年くらい経って被災者の気持ちがある程度安定してからの出題ならまだいいんだと思うんですが、半年前に家族を亡くした人も居るであろう中で、コレを試験に出すのかと思ったわけです。


そんなわけで、先日の土曜講座の理科の授業では地震の問題を扱った際に、「今年はさすがに出題しないんじゃないか?」という話を生徒にしていたんですが、ちょっと認識を変えたほうがいいのかなぁと思ったりしました。
実際どうなんでしょうね。。。自分的には、被災者の方にとってこの出題は多少なりとも動揺を誘うでしょうから、ちょっと残酷なんじゃないかと思うわけですが。。。

2011年10月11日火曜日

「そこにあること」が大事かと

シグマゼミの運営は今のところ八反田一人で行なっているため、思ったままにというか、好きなようにというか、思いついたことは即行動みたいな感じで動いています。
そのせいか、本棚の書籍類は特にそうですが、「先生、なんでこんなモノ買ってんのさ?(苦笑)」とよく言われますね。
"こんなモノ"の代表としては『旅に出たくなる地図』とか『女子中学生の小さな大発見』とかがまさにそれですが、、、いいんですよ、べつに、誰かが疲れた時に手にとってみて、ちょっとでも関心を持てたらそれで。

で、9月に購入したのが地球儀と顕微鏡でして。

生徒には「これ、使うの?」と聞かれますが、、、どうなんでしょうね?(笑)
特にうちは一斉授業ってわけでも無いですし、授業で意図的に使うってことは多分ないんじゃないかな。
ただ、書籍同様に、目に見える・手の届く場所にそれがあるのとないのとでは若干違うんじゃないかと思っていて、もしかしたら地図の代わりに地球儀を回してみる子がいるかも知れない、もしかしたら顕微鏡を覗いてみる子がいるかも知れないと思うんですよね。
教材の中でちょっとだけ不思議に思ったとき、実際に触ってみられるならもうちょっと関心が深まるかもしれないし、逆に普段から目に付く位置に置いておけば、興味をひくきっかけくらいにはなるかもしれない。
自分の仕事自体、学問へ向かうまでのきっかけづくりみたいなものと思ってますから、10人に1人でもそれで興味を持ってくれたら、買った価値はあるんじゃないかと思っています。

そんなわけで、国語辞典・英和辞典・古語辞典・地図・資料集・・・などなどいろいろ揃ってはきましたが、次に買うオオモノはなにがいいでしょう?・・・やっぱ広辞苑かなー?



<追記>
今回買った顕微鏡はオークションで定価12000円→600円(送料の方が高いとか・・・)とかでしたが、実際使ってみると、”おもちゃ”です(笑)
スライドガラスなどもセットに入っていたので多少のお得感を感じて購入しましたが、結局スライドガラスはプラスチック製で傷だらけでしたしね・・・
同じ時間帯に1500円でもっとイイモノが売られていたので、そっちにしときゃぁ良かったと今更思っていたり。
精密機械・光学製品は特に、安物とホンモノの差が顕著に出ると思い知らされました。。。

なお、写真手前に写っている三角フラスコ・試験管は、お世話になっている教材会社『研進図書』さんからご厚意でいただいたもののごく一部です。
実験器具やら薬品類を取り揃えるのはまだまだ先の事になりそうですが、フラスコ・試験管・ピペット・ビーカー・漏斗など色々頂いたので、いずれは化学の実験も出来るようにしたいものです。

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最後まで読んでいただきありがとうございます。
学校では見られない"おもちゃの顕微鏡"を覗いてみたい方はぜひシグマゼミへお立ち寄り下さい(笑)

2011年10月6日木曜日

個人的にショックなニュース

スティーブ・ジョブス氏が亡くなったそうです。
今日は、ニュースを見てからちょっと呆然としています。
と言っても、PC関係に詳しくない方は誰のことか分からないかもしれません。
Mac、iPhone、iPodの開発会社Apple社や『トイ・ストーリー』『モンスターズインク』などを制作したピクサー社の創業者と言えば、少し身近に感じられる方もいらっしゃるのでは?

自分はMacユーザーでもiPhoneユーザーでもないですし、iPADはおろかiPodすら触ったことがないというくらいApple社には縁がないのですが、でも、このジョブズという人の発想の豊かさやプレゼンテーションの巧さは、各紙の記事やネットに上げられた動画などを見ても、非常に刺激的で勉強になるものでした。
ここ30年を情報化社会というキーワードで振り返るとき、世界で最も大きな役割を果たした人の一人だと思います。

次のビデオは2005年6月12日に行われたスタンフォード大学の卒業式でのスピーチです。
今回は塾の運営とは全く関係のないエピソードですが、個人的にとても好きなスピーチなので紹介させて頂きます。

2011年10月1日土曜日

だから、式だけ覚えても意味が無いんだってば

高校1年生が数学Aの教科書を開いてうめいています。
「センセー、この公式、意味分かんない」と指したのは、反復試行の確率というやつで、こんなやつ。

どういう場面で使うかというと「サイコロを4回連続して振ったとき、<1>の目が4回中3回出る確率は?」というような場面です。

サイコロは6通りの目の出方がありますから、1回しか振らなかったとすると<1>が出るのは1/6の確率。逆に5/6の確率で<1以外の目>が出ます。
「<1>が4回のうち3回出る」のであれば、逆に<1以外の目>は1回だけ出ますから、問題文は「4回振ったうち、1/6の確率で起きることが3回と、5/6の確率で起きることが1回起きた」ということですね。
ここまでで

ところが、(細かいところは省きますが)確率計算の場合、4回中3回と言っても、「どの順番で起きたか」を明確に区別して計算をします。
なので<1>→<1>→<1>→<1以外>の並びと<1>→<1>→<1以外>→<1>の並びは別物として計算しなければなりません。
ってわけで、 この並び方が通り。

これらの計算結果がでして、最初に書いた公式のそれぞれの文字は、
 n:全部で4回サイコロを振るうち
 r:<1>の目は3回
 n-r:<それ以外>の目は1回出る
 p:<1>の目は1/6の確率で出て、
 q:<それ以外>は5/6の確率で出る
 ただし、出る順番を区別するため、目の並び方を で計算してかけるというわけです。

とまぁ、ここまで説明して計算もある程度自分で出来るようになったのでヨシヨシと思ったら、その生徒が一言。
「で、この公式は覚えないとダメなんですか?」

いや、そうじゃないでしょ。。。
公式だけ見て意味も使い方もわからんくてさっきまで問題解けなかったのが、順々に考えて自分で解けるようになったんならそれでいいじゃない。
今自分で解くときに<公式に数字を当てはめる>なんて作業してた?してないでしょ?なぜそこで「公式の形」にこだわる必要があるの??

東急ハンズに行くといろいろな調理器具が売ってますよね。
それこそ「りんごの芯を取る道具」やら「栗をむく道具」やら「ハンドルを回すだけで刺身のツマが作れる道具」やら。
道具を色々揃えるのは趣味も兼ねてるからいいんでしょうけど、用途も分からない、しかもそこでしか使えない公式ばっかそんなに集めてどうすんの?と思うんですよね。
「そんなの使い方次第でナイフ一本でもなんとでもなるじゃんさ」と思うわけです。

何でもかんでも定式化して「公式を覚えろ。使い方をひたすら練習しろ。」というのは教え方として一番簡単です。
そしておそらく過去にそういう習い方をしてきたから「公式覚えなくていいの?」と多くの生徒が思うんでしょう。
でも、「なんでもいいから覚えろ・慣れろ」っていうのって、"授業"っていうんでしょうかね?



以前にも小・中学生版で同様の内容を書いていました。
こちらもどうぞ。 →数学の”公式”はただの道具です



最後まで読んでいただきありがとうございます。
教科書で枠に囲まれた公式群を丸暗記することに疲れた方、792-0490もしくは sigmaseminar@gmail.com までお気軽にご相談下さい。

2011年9月27日火曜日

国語の試験は"作文"ではないということ

 夏期講習を期に中3生の参加が増えたため、集中講座のテキスト準備やアレコレであっという間に1ヶ月が過ぎてしまいました。
 この間に学力Aテストが終わり、またすぐにB/Cテスト・定期試験と、受験に向け一気に動き出したという感じがします。


 さて、シグマゼミでは基本的に時間の許す限り生徒の横に張り付いて勉強を見ているのですが、今まで見た生徒のほぼ全員が勘違いしていたと思われるのが国語の試験への取り組み方です。
 自分自身も学生時代はそうだったんですが、国語の試験というのは覚えるべきことがあるわけでもなく、設問に対しても「なんとなくコレだろ」という感じで答えてしまいがちです。自分なんかは「思ったことを書くのに正解とか間違いとかがあること自体おかしい」なんて思っていたわけですが、その考え自体が根本的に間違っているわけですね。
 そもそも"試験"ですから、採点者が統一した採点をするための採点基準というものが存在します。実際に生徒にも見せましたが、例えば「~について50字程度で書きなさい」という設問の場合、採点基準表には「①・・・・・・・・の内容が書かれていること ②・・・・・・・・・の内容が書かれていること」という<本文のフレーズをもとにした指示>があります。つまり、出題者が求めているのは50字の作文を0から創り上げることではなく、<該当する箇所を本文中から数箇所見つけ出し、50字程度に編集せよ>ということなのです。

 私の場合、このことを知ったのは採点者の立場になったごく最近のことですが、これを全く知らないのときちんと理解して取り組むのでは試験に対する取り組み方や設問に対する答え方が全く違ってきます。
 自分のオリジナルで50字を書きだそうとするのと、本文中の言葉を借りて50字にまとめるのでは考え方自体が全く違いますし、そもそもオリジナル性自体を出題者は初めから求めてなぞいないのです。
 「こんなに書いたのに△すらつかない」というのは一生懸命に言葉をひねり出した学生当時の私の愚痴ですが、どれだけ考えて書いたとしても、出題者の要求に沿っていないのであれば点数になるわけがありません。

  この話をする以前は「〇〇字で書きなさい」という設問を全て空白にしていた生徒さんが居ましたが、学力Aテストでは記述部分で半分以上の点数をもらってきました。
そういうことを考えると<できる・できない>以前に、<設問の意図がわかっていない>・<答え方を知らない>ということも多分にしてあるのではないかと思うのです。

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最後まで読んでいただきありがとうございます。
今回のような国語の試験に対する考え方は『システム中学国語(出口汪)』や『田村のやさしく語る現代文(田村秀行)』を参考にすると良いかと思います。
どちらもシグマゼミの書棚に設置してあります。

2011年8月30日火曜日

個人面談では、こんな話をしています その2

裁量問題絡みの内容は根強い人気があるようです。
この記事は2011年度入試を元に書かれています。
現在は出題傾向が変わり、得点分布などの考え方も違ってきていますので、その点ご注意を。

やはり気になる裁量問題

中3生の面談でよく話題にするのが"裁量問題"のことです。
かつて、北海道の入試問題は、他県より簡単すぎるために成績上位者の多くが満点近い点数を出していました。
合否判定の際に1問のミスの影響力が大きすぎることから、「もう少し難易度を上げた問題を入れて、上位層の点数差を作ろう」という意図で数年前から国・数・英の3教科に対して導入されたのが"裁量問題"の選択です。

各高校ごとに「裁量問題を使うかどうか」を選択し、使う場合には国・数・英の各教科で15~20点分程度の問題が標準問題から差し替えられるわけですが、この"裁量問題"という名称自体に対し、生徒さん・親御さんともに、かなり恐怖感に近いものを持っているようです。

実際の得点率をみてみると、、、


実際に裁量問題を採用している学校をざっと見ると、受験者層が内申C~Eランク(評定の平均が4前後)程度の高校でも大半が裁量問題を使うようで、逆に、使わない高校の方が圧倒的に少ない。(北海道教育委員会のページ 札幌市教育委員会のページ
ところが、道教委から発表されている実際の得点率(→資料)を見て、得点率について高い方から累積度数を取ってみますと、次のようになります。
 累積度数    国語    数学    英語
  56点以上   0.1%   0.0%    1.1%
  51点以上   3.5%   0.4%    6.3%
  46点以上   19.3%   2.5%    17.8%

これ、「数学で46点以上を取れたのは全体のうち2.5%しか居なかった」という見方をします。
つまり、裏をかえせば<それ以外の97.5%の裁量問題校の受験者は45点以下しか取れていなかった>ということ。
国・数・英の裁量問題分の配点は15点程度ですから、<数学に関しては大半の生徒は裁量問題どころか標準問題すら解ききってはいない>ということですね。
また、国語にしても英語にしても46点に届いているのは全体の2割程度のようです。

中堅校に当てはめて考えてみましょう

この資料を元に、例えば内申Dランクのお子さんがいたとして、「志望校は新川高校。でも、裁量問題が怖いからと石狩南にしようかと迷っている」という状況を考えてみます。
さて、ココで考える必要があります。
新川高校の受験者層って、先ほど挙げた"全体の2割程度"にどれだけ入るんでしょうか?
露骨な言い方をすれば、新川高校の受験者で裁量問題をきちんと解けているのはどれくらい居るのでしょう?

自分の読みではせいぜい取れているのは成績最上位のごくわずかの生徒だけで、大半の生徒はほとんど裁量問題の15点は捨てられているのではないかと。
そうなると、「裁量問題が怖いから、裁量問題ではない学校を選ぶ」という理由付け自体が意味をなさなくなります。だって、そこの受験生の大半は裁量問題分の点数を無いものとして考えることになりますから。

同時に、「志望は裁量問題校なんてすが、どう勉強したら良いですか」という質問に対しても返答ははっきりしています。
数学なんかを見ると、裁量問題部分で点数差がつくことの方が稀なわけですから、まずは標準問題を完璧に解き上げることが優先事項です。
これから1月あたりまでの時間をそのつもりでこなしていくと、冬休み明け辺りにはほとんどの標準的な問題をやりつくしているはずです。
そもそも裁量問題なんていかつい名前がついてますけど、実際に出題される問題は数学に関しては「いろいろな分野を組み合わせて難しく・面倒くさくした」という程度。
まぁもっとも、時間的に見て初めから解けないことを前提にしているような気に入らない出題も多いわけですが。
国語にしても英語にしても、難易度が上がり正答率は下がりますが、でも中学範囲を逸脱しているわけではありません。
その意味では解きにくさはあっても標準問題の延長線上でしか有りませんから、その他の部分が仕上がってきていればその頃には裁量問題レベルの問題にも手を出せるようになっていると考えたほうが自然です。

裁量問題に関しては、以前『裁量問題対策という煽り文句』という記事でも書いたのですが、そこが検索サイトにピックアップされるのか"裁量問題"というキーワードで検索してここを訪れる方が少なくないですね。
その時にもほぼ同様のことを書いたわけですが、「まずはしっかり足場固めを」というのを抜きにして「裁量問題が難しいから対策を・・・」というのは、私の目には大手塾さんの宣伝にうまく乗せられて、ただただ振り回されているようにしか見えないのです。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
「現状こんな感じで、学校の先生にはこんな風に言われましたが、実際どうなんでしょう?」みたいなご相談がありましたら792-0490もしくは sigmaseminar@gmail.com までお気軽にどうぞ。
その後入会されるかどうかは完全に別で、お話だけでも構いません。
参考意見(セカンドオピニオン?)もしくはちょっとした気晴らし(気休め?)くらいにはなるかと思います。

2011年8月29日月曜日

個人面談では、こんな話をしています

長いはずの夏休みも終わってしまい、小・中・高とも2学期(?)に入りました。
先週の1週間、開室前の時間帯を使って、簡単にですが3者面談を行いました。
中3生はこれから3ヶ月連続の学力A/B/Cテストが控えており、否が応にも"受験生"として扱われるようになってきますので、それに向けての現状の問題点の洗い出しと、今後の方針の確認というところです。

今シグマゼミに来ていただいている生徒さんの学力は、内申ランクで言うとCランク~Eランク辺りが多い印象です。
ただ、うちの場合、「問題演習をガンガンこなしてきた」という生徒さんはあまりいないため、純粋に問題慣れしておらず、模試(『北海道学力コンクール』~通称『道コン』)や学力テストとなると、途端に点が取れなくなるという状況。
夏の集中講座の最後に道コンを受験してもらいましたが、みなさんかなり手こずったようで試験直後の帰りの表情は一様に暗く。
面談の時(成績表到着前)に聞いてみても「全然出来なかった」という感想ばかりでしたが、ただ、問題は、「現段階で何点取れているか」ではないと思うんですよね。
だいたい、内申点は過去2年間の成績が足を引っ張ってしまいどうしようもなかったとしても、学力試験の方はこれからの5ヶ月でなんぼでもひっくり返せると思っていますし。


面談前に私が行ったのは、実際の答案を再点検して「普段の様子から見て、できているはずの箇所でどれだけ点数を落としたか」と「どの分野が苦手なのか、その苦手の原因はどこにあるのか」を洗い出すことです。
つまり、入試本番も含め、外部試験で常に意識しなければならないのは「満点を目指すこと」ではなく「出来るはずの部分をいかにして落とさないようにするか」であり、その前段階で「出来るはずの部分をどうやって増やしていくか」をしっかりと考える必要があるわけです。
社会科が取れていなければ地理・歴史を1からもう一度勉強し直せばそこは得点源に出来るわけですし、英語の英作文ができていなければ今から少しずつでも書く練習をして、本番までに5点分でも上げられればいい。
答案上では同じ×でも、単純に計算ミスで×がつくのと本格的にわかっていなくて×がつくのでは、話は大違いですし、同じ空欄でも分からなくて空欄なのと時間が足りなくて手が付けられなかったのでは話が変わってきます。。
そんなわけで、"これからすべきこと"は人それぞれで違っていますから、面談では主にそのことを伝え、学力A/B/Cに向けて何を目標に準備を進めていくかという確認をしました。

学力A/B/Cテストは、生徒にとっては"嫌な試験"以外の何物でもないのでしょうが、私の目からすると、入試本番に向けて学校が用意してくれる模試にしか過ぎません。
それが1ヶ月毎にあるわけですから、その都度復習の進捗を見て弱点を潰していくと考えれば、11月の学力Cが終わった段階で入試の試験範囲の大半は完成することになります。
そう考えれば、つまりは調整用のいい練習台です。

「現在できていない」のであれば、「1ヶ月後までに少し出来るようにする」「3ヶ月後には完璧にする」くらいのつもりでかかれば、一朝一夕にはどうにもならなくても、最終的にはなんとかなるもんです。
要は、その場その場の出来ではなくて、「その結果から何を読み取るか、どうやって次に繋げるか」ではないでしょうか。

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最後まで読んでいただきありがとうございます。
「現状こんな感じで、学校の先生にはこんな風に言われましたが、実際どうなんでしょう?」みたいなご相談がありましたら792-0490もしくは sigmaseminar@gmail.com までお気軽にどうぞ。
その後入会されるかどうかは完全に別で、お話だけでも構いません。
参考意見(セカンドオピニオン?)もしくはちょっとした気晴らし(気休め?)くらいにはなるかと思います。

2011年8月16日火曜日

少しだけ書籍の増強を

シグマゼミの書棚には、塾用教材や参考書・辞書などの他、地図・歴史年表・資料集などの学習用のものをはじめ、進路情報誌にムック本など、生徒に手にとって見てもらいたいものを脈絡なく置いていたりします。
先日まで行っていた集中講座にいつもより多くの方に参加していただいたので、せっかくだから少し書籍の増強をしようかといろいろな本を見繕っていたところです。

とりあえず、以前から棚に置こうと決めていたブルーバックスの『新しい高校○○の教科書』シリーズを生物・化学・物理・地学と4冊とも揃え、個人的に欲しかった『旅に出たくなる地図』を日本版・世界版とも(少し版が古いものですが)購入しました。
その他、中学生くらいの年代には哲学っぽい問いに悩んでいる(?)生徒がいたりするものなので、ちょっとだけその解決(もしくは気休め)になりそうなものってことで『哲学のおやつ』シリーズを何冊か置いてみたり。
そんな感じで、教育的価値がどうとかは横に放っておいて、とりあえず自分が読みたいもの気になったもの優先で選んでいます。

ホントは書店でじっくり手に取りながら選ぶのがいいんでしょうが、そこまでの時間もないため、選ぶのはもっぱらAmazonでということになってしまいます。
もっとも、予算的にそれほど余裕があるわけではないため、実際買うのは中古で安く出ているものだったりするので、古本の在庫と値段が直接わかるAmazonは非常に好都合なわけです。
問題があるのは書名や投稿されている書評だけでは内容がつかめない場合ですが、そういう場合には図書館で取り寄せ。
便利なもので、札幌市の場合、インターネット経由で図書館のデータベースから予約を入れると、市内の全図書館の在庫から近隣の図書室に1週間以内に移送されてくるんですよね。
なので、書名さえわかっていれば大抵の本は目を通すことが可能です。

そんなこんなで、今回取り寄せてみたのが『女子中学生の小さな大発見』という本。
<中学1年生が素朴な疑問を少しだけ突き詰めて調べてみた4行レポート集>という感じですが、これがなかなかの力の抜け具合でとても面白い。
「Kさんはお正月の酔っぱらいの観察をしました」とか「Sさんは公園のハトはどこまでついてくるか実験しました」とかそんなのがいっぱい。
調べた内容がどうとか、手段がどうとか、結果にどんな意味があるかとか、そんなことを全部ふっ飛ばして、調べてみようと思ったその発想と、実際に調べた実行力とに頭が下がります。
中高生の時期に、そういう本を手にとって見ること自体にも何らかの意味はあるんじゃないかと思い、早速Amazonで注文しました。
授業再開の19日には、書棚に並んでいることと思います。

さて、次はどんな本をポチリましょうか。。。

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最後まで読んでいただきありがとうございます。
せっかくですので簡単なコメントやソーシャルネットでの共有など、何らかのレスポンスをいただけると非常に嬉しく思います。

2011年7月27日水曜日

夏休み特別期間1日目

夏休み期間中は、通常と違って集団授業と個別指導とを併用して進めています。

来てくれている中学3年生は、朝10時から12時半まで内容量1.5倍(当社比?)の濃い集中講座を受けています。
集中講座自体は1日2コマなので、本来はそこで帰ってもぜんぜん問題ないのですが、何故かみなさん15時まで全員が個別で頑張り、さらに1人はぶっ通しで18時まで、2人は18時から戻ってきて20時半前まで頑張るという、こちらが見ていて「大丈夫か??」と心配するような動きをしていました。

学習において大事なのは、集中的に一気に何かをこなすことではなく、少しずつ積み重ねていくことだと思っています。
なので、途中で疲れてしまって続けられないハイペースよりは、スローペースでも夏休み中をしっかりと続けることの方がいいと思うんですよね。
もちろん、昨日のペースがずっと続けられればそれはそれでスゴイことなのですが、見てるこっちは「いや、そこまでやらんくても・・・」という気もしているわけです。
もちろん、本人達が納得いくまでとことん付き合いますが。

というわけで、特に強制しなくても勉強している彼らを見るのは非常に頼もしく楽しいのですが、その反面非常に心配になる1日目でした。


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最後まで読んでいただきありがとうございます。
せっかくですので簡単なコメントやソーシャルネットでの共有など、何らかのレスポンスをいただけると非常に嬉しく思います。

2011年7月26日火曜日

長い夏休みに向けて

小学・中学・高校とも、あとひと月程で長い夏休みに入ります。
長い休みを効果的に使っていただくために、シグマゼミでも夏期講習をご用意いたしました。

なんとなく、出来ている?」を「ちゃんとわかって次に繋げられる!」に変えるための大切な時期です。
他塾のような派手な売り文句もありませんし、これ以上価格を下げることもできませんが、信頼し、お任せいただいた分は必ず成果につなげられると思います。
ぜひ、案内に目を通し、ご検討頂ければと思います。

よろしくお願いいたします。

2011年7月21日木曜日

提出物を課すということ

学校では、主に授業内容の定着や整理を目的に、計算練習や漢字の書き取りなど、いろいろな課題を出します。
教育大学の教育学の授業でも聞いた話ですが<教育活動には必ず評価がついてまわるもの>でして、課された課題は授業中に消化するなり、宿題として持ち帰るなり様々ですが、まぁやりっぱなしということはほとんど無く、大抵は先生に提出し、点検印などが押されて返却されてくるわけです。

で、うちの娘の担任の先生も、漢字の書き取りをさせて集めてから返却したっぽいのですが、よく見てみると、これがヒドイ。
娘の字の雑さも(私に似て)ヒドイのですが、書いてる中に明らかに嘘の字がいくつかあっても、平気で花マルがついています。
「都」という字の左側が「考」になっていたり、「曜」の字のつくりがなにやら正体不明な字になっていても、お構いなしにでかでかと花マル。
別に、「土土土土土士土土土土 "士"はどこでしょー?」っていうような間違い探しをしているわけでもなく、私が上からさぁ~っと見ていっただけでも明らかに違和感がある字を書いているのに、チェックひとつ付けずに花マルってのは、見もしないでめくら判で済ませていることがありありと分かってしまいます。

そういえば、プリントの中に漢字の用例を書く欄もあったんですが、「丁」の字の用例を2例出せというのがありました。
なにせ小学3年生なので、そんなにあれこれ言葉を知っているはずもありません。
というか、私自身がパッと思いつくのも「大通1"丁"目」とか「"丁"度」「"丁"々発止」くらいなものかな。。。あとは、、、「豆腐1"丁"」??
で、娘が書いたものといえば「馬丁」「園丁」・・・・・・「馬丁」はまぁ言葉として知ってますが、、、「園丁」? (汗
なにこれ、「園長」のまちがい?こんな言葉知らねーわ。言葉として存在するの??  とか思ったんですが、調べてみるとあるんですね。
   【えんてい:庭園や公園の手入れをする人。庭師。】
・・・知らねーわ、そんな言葉。。。(えっ?オイラが無知なだけ??)

おそらく漢字辞典を引いて、なんとなく目についたものを書いたんだとは思うんですが、仮にも大人が聞いたこともないような単語を用例として書くのって、教育的意味あるんでしょうかね?
テーブルに置かれていたプリントには、さっきの漢字の間違いを直しておいたのに加えて、「自分の知ってる単語を探せ」と赤字で書き足しておいたんですけども。


いや、生徒全員分のプリントをチェックするってのはものすごく手間がかかるんですよ。実際。
その事自体は自分も教員やってましたからよくわかります。
でも、課題を課してそれを提出させたということは、同時に教員の側には「それをきちんとチェックする」という義務も発生してると思うんですよね。
取り組みに対して何らかのレスポンスがあるべきで、ダメならダメでちゃんと指摘し修正させ、イイならイイできちんと評価する。
全員分にコメントを付けて返すことは無理だとしても、せめて明らかに間違ってるところくらいは指摘すべきです。
でなければ、次からは「テキトーにやっても見とがめられない」ということになり、課題はただの作業、ただの労苦になってしまい、教育的価値は失われます。

いろいろなことを吸収する時期の子供たちを相手にしている先生には、宿題や課題の出し方とその評価の仕方ってのも、よくよく考えて欲しいと思うのです。


前に定期試験のところでも書きましたが、子供がどんなことを学校でしているのか、プリントや試験などをちょっと見てみるだけでも「あれ?」って思うこと、いろいろ出てくるものですよ。

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2011年6月24日金曜日

数学の”公式”はただの道具です

生徒の数学への取り組みを見ていると、どうにも「公式と計算方法だけ覚えればいいんでしょ?」的な発想が目につきます。
学校においても塾においても、自分の数学の指導はその考えを壊すところからスタートします。

簡単なところでは例えば「速度」や「割合」の指導がそうなのですが、生徒は言い方悪いですが馬鹿正直に「速度=距離÷時間」としっかり覚えてきます。
ところが、中学1年生あたりに「30秒で200mを走る速さは分速何m?」と聞くととたんに詰まるんですね。
「200÷30?割り切れないよ?」というのが多くの答え。
少し気の利いた子になると「割り切れないから分数で表してみよう」とか「30秒は1/2分の事だから、200mを1/2分で割って・・・」と行けますが、それでも理解としてはいまいち。
なぜかというと”分速”というものが何かよくわかっていない答え方だからです。

分速とは「1分間にどれだけ移動できるか」を表したものです。
ってことは、さっきの問題は「30秒で200m走れるなら、1分走り続けたらどれだけ走れる?」という質問でしかないわけですよね。
ところが「30秒で200mなら、1分はその2倍だから400m走れる。分速400m」と答えられる生徒はほとんど見たことがありません。
それくらい小学校や塾で画一的に「速度=距離÷時間」と教え込まれてくるわけです。

「割合」にしても同じで、「割合=比べる数÷もとにする数」と教えられているようです。
でも、「ある学校では生徒全体の60%が塾に通っており、その人数は120人だった。この学校の生徒数は?」と問題を出すと、生徒からすると「"比べる数"ってどれのこと?」ということになって立式ができないわけです。
これにしても「"割合"ってのは"倍"と全く同じ。生徒全体の60%=0.6倍が120人になるってだけ。」といえば、大抵はすぐに解決するんですが。


何かにつけこんな感じで、とかく学校や塾で大切とされる"公式"に振り回されている生徒が非常に多いように感じます。
公式ってのはあくまでも道具でしか無くて、道具は「どう使うか」という使い方が大切です。
出刃包丁・柳刃包丁・菜切り包丁・肉切り包丁・・・と10本以上も包丁だけ集めていたところで「私、ゆで卵しか作りません」ではしょうもないわけで。
本当のプロは、少ない道具でもそれを上手に使い倒すことで驚くほどいろいろなことをしてみせるもんです。
その辺りのイメージ作りを手伝うことができるというのが、正解しか書いていない問題集や参考書のまとめと我々生身の人間との違いではないかと思っています。


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何をもって「ヨシ」とするか

塾に来ている中学生の定期試験の結果が戻ってきました。

3年生の生徒さんは、ここでも何度か触れた通り、もうそれこそ毎日びっしりの勉強で、教えている私の方が「こんなにやって大丈夫?倒れない?」と思うほどでした。
結果はというと、点数的には"大満足"とはいえないまでも半月程度でダァ~っとまくったわりには"まずまず"という感じ。
ただ、数学なんかではしょうもないミスもかなり見つかり、「落ち着いて取り組めれば9割取れただろうな」という印象。
数学・英語・理科あたりでは「教えた内容に対して理解不足での間違いはほとんどなかった」ことから今後の伸び代もかなり見え、私的には「今回はこの点数だけど、今後は大丈夫」という感じでした。

ところが、その生徒さん当人はというと「ダメだー全然ダメだー」の繰り返してでして、なんぼ私が「大丈夫大丈夫」といっても、「この点数じゃぜんぜん大丈夫じゃないー!」と。
どうも、「何点以上が評定5」という学校の先生の言葉が重くのしかかっているのか、点数がその基準を少し下回ったことに対してものすごく評価が厳しいんですね。
つまり、気にしているのは内容の理解度ではなく、点数=評価=内申点というわけです。

まぁ確かに、北海道の公立入試の場合、内申点の比重が非常に大きいので、入試で点数を取る力よりも内申の良さの方が重要視されてしまうんですよね。
つまりそれは「定期試験で点数を取る力」なわけですが、ただ何度も繰り返してますが、その定期試験や評価基準がいいものかどうかは元教員の立場から見て非常に微妙なわけです。
そしてこの内申点、恐ろしくいい加減なことに、同じ市内であってさえ学校によって評価基準が雲泥の差というくらいに違う。
ある地域を基準にみて実力(入試での得点力)的にどう考えてもDランク(評定オール4)くらいだろうという子が、ある地域ではA・Bランク(評定オール5に近い)だったりしますから。
ところが入試本番となると、同じくらいのランクの子が集まる中での競争ですから、最終的には得点力の方がものをいうわけです。
そして高校進学後に要求されるのは、入試のような試験でキッチリ点数を取れる力の方です。
大学入試では内申点なんて推薦入試以外では関係ないですから。

そう考えると、もちろん定期試験の結果それ自体も大切には違いないのですが、そこだけに固執していてはその先に控えているものの大きさがかえって見えなくなってしまいます。
そして、評定はこの1回だけで何かが決まってしまうというものでもありませんし。
「後から取り返せるだけの力が見えた」という意味で私的には「半月の成果としてはまずはヨシ」なんですが、そのあたりはなかなか伝わらないようで。

「もっと出来たはず、こんなんじゃ満足できない」というその気持ちは今後の頑張りにつながるのでとてもいいことなんですが、でもどっかで「よし頑張った、今回はコレが出来たからヨシとしよう」と自分で肯定的に評価をすることも、長い道のりの過程では大切だと思うんですよね。

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2011年6月21日火曜日

先生、”問題の難しさ”というのを勘違いしてません?

生徒が定期試験を持ってきてくれたので見てみたのですが、その中の数問がどうにも気に食わないのです。

<問題>
A駅から90km離れたC駅に向かって11時に出発した電車が、B駅で30分間停車し、C駅には12時半に到着した。A駅からC駅まで移動したときの「平均の速さ」を求めよ

数字は適当ですが、大雑把にこんな感じ。(コピー取ってないもので)

「平均の速さ」というのは「ある区間を同じ速さで移動し続けたと考えた場合の速さ」のことです。
例えば算数の問題としては「60kmを2時間で移動したら→1時間では30km進める速さ→時速30km」と計算するわけですが、現実的にはその60kmの移動中、信号で停まっていることもあれば、高速道路で80kmで走った区間もあるかもしれない。
そういった移動途中の速度の変化を一切無視して「60kmを”最初から最後まで同じ速さで”2時間かけて移動したら」と考えるのが「平均の速さ」という考え方です。
つまりこの「平均の速さ」という言葉は「途中で停止したとしても」というのが言外に含まれていると考えるのが普通です。

で、この問題、中3理科の問題ですが、
模範解答によると<正解は停止した30分を除いて移動時間は1時間と計算する>んだとか。

ほぉ。
では、静止している状態は「運動」とは認めないということなんでしょうかね?
たしか、物理の世界では「静止状態」も速度0での運動と解釈したと思うのですが。
横軸に時間、縦軸に移動距離を書いたグラフを作った場合、普通は2点間を結ぶとその平均の速さが直線の傾きで表されるわけですが、そこに水平部分がある場合はそこを省くなんてことをわざわざするんでしょうかね?

自分も、定期試験だけではなく私立中学・高校の入試問題などを作問する側に居たからより一層思うのですが、試験の問題というのは絶対に解答者に複数の解釈を与えてはいけないのです。
法律の文章もやたらクドクド難解な表現がされていますが、アレも好き勝手に複数の解釈を持たれないようにするためですよね。
「見方によっては~」とかいう時点で、それは試験問題ではなくただのクイズです。
出題者は「難しくしてやろう」とヒネったつもりなのかもしれませんが、「難しい」と「意地が悪い」と「出題者自身が何が大切なのかすら分かっていない」は完全に別物です。
先日も書いたので繰り返しになりますが、定期試験で生徒の思考をもてあそぶなと。


さらに酷かったのは社会科で、<時事問題>と称して、
担任の先生のフルネームを書け」 やら 「修学旅行のテーマはなんだったか」 やらが出題されてましたが。
あ、これ、中3の定期試験です。

普段の授業がどれだけ素晴らしかろうと、人格的にどうであろうと知ったこっちゃ無く、少なくとも定期試験の出題者としては失格だと思います。 

先日も書きましたが、
どうか保護者の皆さん、点数の1点や2点で騒ぐのではなく、出題されている問題、そしてそれにどう答えた結果の点数なのかの方こそよく見てあげてください。
たとえ90点だったとしても、残りの10点が"どーでもいい出題"だった可能性だってなくはないんです。

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大丈夫です、外部模試ではこんなしょうもない出題はありませんから。。。

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2011年6月19日日曜日

「裁量問題対策」という煽り文句

この記事はしばらく前に書いたものなのですが、『裁量問題』というキーワードでこちらの記事に辿り着いた方が多かったようです。
やはり、裁量問題の情報を欲している方は多いようで。。。
2013年度入試で、入試もかなり様変わりをしていますが、せっかくですので、こちらの記事もあわせてどうぞ。
→『個人面談では、こんな話をしています その2


そろそろ新聞折込チラシに大手学習塾の夏期講習の案内が目立つようになってきました。
もちろん学習塾の売り込みは「学校の成績を上げること」「高校受験で合格させること」ですが、ここ数年の目立つ売り文句は
「公立高校入試・"裁量試験対策"もバッチリ!」
というやつです。

裁量問題 実施の背景と実際

数年前まで、北海道の公立高校の入試問題は、全国的に見て最も簡単なレベルと言われていました。
例えば道内トップと言われる札幌南高では、合格者の平均点が300点中270点(各科目60点中54点を取っている計算)にもなり、「普段どれだけ優秀な生徒でも、当日の1問のケアレスミスで合否が分かれる」という状態でした。
そこで3年前に導入されたのが、学力差での点数差をつけるための「国数英の裁量問題選択」で、裁量問題は国数英の3科目それぞれに15~20点分が大問一つを置き換える形で配置されます。

実際に出題された裁量問題を見てみると、3教科とも確かに一筋縄では行かない出題がされています。
それこそ、学校で評定5を取っているAランク・Bランクの層の生徒でさえ、問題によっては全く手がつけられず、いろいろな資料を見ると全道の正答率が0.0%なんてのもあったりします。
実際、以前教えていた塾生の様子を見ていると、札幌東高に合格する学力の生徒でも、裁量問題部分は20点中5点しか取れていないなんて生徒もざらだったんです。
つまりそれは「上位層の誰もが解けてしまって点数差がつかなかった」過去の入試からは変わったものの、「上位層ですら誰もが解けない問題が出題されて、やっぱり点数差はあまりついていない」ということを意味しています。

この裁量問題が実際に運用されて3年、道内トップの札幌南高の合格者平均点は5教科300点満点で250点程度、合格の最低ラインはBランクの230点というところ。
230点というこのラインは、裁量問題の国数英で40~45点ずつ、理科・社会で50~60点ずつという感じでしょうか。
南高でそのラインですから、それより受験者の学力層が一段下がる他校に関しては、「裁量問題にはほとんど手をつけられなくても、他で満点を取れれば合格できる」ということを意味しています。

受験生がすべき準備は?

もちろん裁量問題に対応できるだけの知識・思考力をしっかり身につけるとことは、のちのちの学習にも必ず良い影響を及ぼします。
ですが、それはなにかピンポイントの「裁量問題対策」で身につくものではなく、十分な基礎学力の土台の上に出来上がるもののはずです。
であれば、裁量問題対策の前に、「それ以外の問題を完璧にきっちり解ききること」が優先されるべきですね。

大半の塾の宣伝は「お子さん、そのままで将来は大丈夫ですか?」という不安を煽ることからスタートします。
裁量問題についても、大手はしきりに「対策練らなくて、大丈夫ですか?」と言っているわけですが、その対策が必要なのは札幌南・北高などのトップ校を目指す生徒くらいなもの。
しかもそれは問題を解く段階でも最後の最後に回すべき部分です。
それ以外の大半の生徒にとっては、裁量問題対策自体が「不要」とまではいわなくても、それでも優先順位は非常に低かったりもするわけです。
であれば、生徒の学力を心配するのであれば、まずは普通の問題をきっちり解ききれる基礎力の強化に充てるべきだし、それをきちんと謳うべきではではないかと思うのです。

最後まで読んでいただきありがとうございます。
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2011年6月18日土曜日

定期試験おつかれさまでした

昨日で定期試験は一段落です。
まだ結果が返ってきていないので、努力がきちんと報われているかどうかということが非常に気がかりではありますが。。。

中3のある生徒さんは、
試験の前日まで、毎日18時半過ぎに塾に来て、そこからほぼ休憩なしでびっしり勉強。
ほぼつきっきりの状態(同時に入っていた高校生は@willで自習をしていました)でアレコレ穴埋めをしていると、なんだかんだで毎晩23時あたりまで行ってしまっていました。
あまり遅くなるとご家族にも心配をかけるという理由で本来のうちの営業時間は22時までなんですが、ヤル気あるところに水をさすのも何なので今回は目をつぶるということで。。。

ただ、気になったのは、さらにその後「帰宅後も1時頃まで勉強する」とか言っていたあたりでして、ただでさえ学校で普通に過ごした後で塾に来て、つきっきりでそれなりにハードな勉強をし、さらに帰ってからもとなると、体力的に本人が疲れを感じるかどうかは別としても、学習効率は上がるわけがないんですよね。
その当人にも話したんですが、試験前の一夜漬けとはよく言いますが、実際のところ、試験前夜にどれだけ負荷をかけて集中的に補充をしても、それで頭がぼ~っとしていてまともに頭がはたらかない状態だったら元も子もないわけで。
という話をしてもどうにも心配性なのか、何かはやらないと気が済まないようなので、前日の最後の授業の後には「帰ったら今日は軽くだけやってとっとと寝るように」と伝えましたが、、、どうしたかな。。。?

それに、せっかく時間をかけてしっかりと学んだのに、試験の終了と同時にやったことを全て忘れ捨ててしまうようなことにもなってもらいたくない。
なので、やはり試験範囲の狭い定期試験と言っても、試験寸前に集中的に叩き込むより、長い時間をかけてじっくりと身につけていって、試験前はそれをサラッと見て思い出せるようにしておくというのが最良ではないかと思います。
うちの塾の場合、そのためにどれだけ時間をかけてもそれ以上のお金はかからない設定にしているわけですし。

Yahoo!へのリンクですが、「一夜漬け やはり身につかず」なんて記事がありましたので、紹介を。

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2011年6月16日木曜日

定期試験はなんのため?

とうとう明日が定期試験ということで、中3の生徒さんはここ2週間、日曜を除いては毎日4時間くらいずつ勉強をしに来ています。
5月後半に入塾された方なので、苦手の英語はまずはそれまでの確認から始めて、ときには2年生の内容に戻りながらどうにか穴を埋め、ダメだと言っていた社会科は先週から4日間くらいでどうにかまとめ、ギリギリですが歴史の流れはそこそこ頭にも入ったようです。
それだけ頑張ったからにはやはりなんとか結果に出てほしいものなんですが、話の中でちょっと気になることが。

「あ~ヨサコイやったの忘れてた。どこが優勝したの?」という生徒の叫びが発端。
私の方はといえば全く興味がないので「ぜんっぜん知らん。そんなに好きなの?」くらいの反応だったのですが、聞いてみたら「優勝チーム、社会のテストに出るのー!」って。。。

<時事ネタ>ってことで、そういう内容を過去に出題されているらしいんですね。
それ、<芸能・娯楽ネタ>でしょう。。。
実はその先生に限らず、前の塾でも「保健体育の授業で時事ネタが出る」というのがあったんですが、その時には、「サッカーのなんだかカップで日本は何回戦まで勝ち進んだか」だったとか。
それのどこが学校の定期試験に出題すべき内容で、それのどこが生徒評価につながるんでしょうかね?

アタリマエのことを言うようですが、定期試験は「生徒がきちんと学習内容を修めているか」を確認するための手段であって、先生個人の趣味で生徒を振り回して遊ぶべきものではありません。
評価項目の中には「興味・関心を持って学習しているか」というのがあるのですが、それは「先生の身勝手な趣味に対して」ではなく「教科内容に対して」であるはずです。
その辺をどうも曲解しているとしか思えない出題が、平然とされているんですよね。

そういや、同じ中3生が、「英語の暗証の試験があって、28秒以内と言わないといけない」ということも言っていました。
「24秒で言えたからセーフだったっさー」とか言っていましたが、70wordsの文章を暗唱し、そこに時間制限をかけることにどれだけの教育的価値があるんでしょう?


私の立場はたかが場末の一塾講師なので、せいぜい生徒本人に対して「んなクダラナイ問題に付き合わんでいいから、入試本番で点数取れる力を付けとけ」と言うくらいしかできないわけですが、それでは当の勘違い教師はいつまでもこのような出題を続けることでしょう。
保護者の皆さん、試験が返ってきたら、点数だけではなく「どんな出題がされているのか」の方にこそ興味を持ってみてください。
「こんな問題で生徒を評価してんの?」と思うようなありえない出題、意外と多いんですよ。

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ちょっとしたことに疑問を感じれる力

『16日明け方頃、皆既月食が観測され、、、』っていうニュースを見てこの記事を書き始めたのですが、札幌は観測前の段階ですでに地平線に沈んでしまうので見られないらしいです。。。


月食について習うのは今は中3の受験期寸前です。
天体の話は、小学校4年生で星座を扱って以来ず~っと教科書には登場することがなく、中1の社会科・地理で時差の勉強をするときも「地球が自転しているから昼夜の変化が起こる」ということを知らない生徒が多いそうで。
中3段階で自転・公転と時間の変化・季節の変化などの関連性を学ぶわけですが、授業の中で皆既月食に触れるとしたらまさにこの時です。

ってわけで、軽く授業を。

さて、皆既月食が起こる理由は、太陽・地球・月の位置関係にあります。
我々の眼には月は明るく輝いて見えますが、月は自分で光を発するわけではなく、太陽の光を受けて光って見えるんですね。
ところが月も地球の周りを移動するため、地球との位置関係によって光って見える部分が変化していきます。
これが「月の満ち欠け」です。

地球から見て月が太陽の方向と直角な位置にあるとき、半分だけが光って見えるので「半月」(正確には上弦の月・下弦の月です)と呼びます。
地球から見て月が太陽の方向にあるとき、地球からは光の当っていない影の部分しか見えませんから月は黒くしか見えません。これが「新月」です。
逆に太陽-地球-月の順に並ぶとき、月は太陽の光を地球側の全面に受けるので、地球からは「満月」が見えることになります。

と習い、教科書にもワークにも資料集にもそうやって説明が書いてあり、上のような図も書かれているのですが、では皆既月食はというと、<太陽-地球-月の順に並ぶとき、太陽の光は地球によってさえぎられ、月が地球の影に入って見えなくなる。これが皆既月食>という説明になります。

「ん?」と思えましたか?
満月の起こる原因と皆既月食の起こる原因は全く同一の説明になっています。
確かに「皆既月食は満月の時にしかおきない」のです。でも、満月だったら必ず皆既月食になるというわけではないんですよね。
ここを不思議だと思えるかどうかが、興味を持ってその一歩先に進んで面白さを感じられるか、それとも字面だけの理解で無味乾燥な試験用の知識として頭に放り込むだけで終わるかの違いが生まれるように思います。
 (ちなみに、正解はこちらです。)


自分の恥を晒すと、
中学生の頃、歴史の授業で「銅鏡」というのを習いました。 こんなの(→google画像検索)ですが、、、
当時どーーーーしても納得行かなかったんですよね。「コレのどこが鏡なのか」と。「こんなに模様書いてたら何も映らんじゃないか」と。
そう疑問に思うだけ思って15年が過ぎまして(笑)、ようやく納得行ったのは28歳で東京の博物館に初めて行って実物を見たときです。
「あ、、、コレ鏡の裏面の飾りだったんだ。。。表はたしかに鏡だわ。。。」
資料集の写真、表の鏡面は全く写真として載せず、裏の模様しか見せられませんでしたからね。。。

百聞は一見にしかずとはよく言ったもので。。。

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2011年6月15日水曜日

進路を考える資料、置いています

関連する内容を昨日も書きましたが
私自身の経験と後悔をふまえ、進路の選択は、まずは徹底した情報収集、そして自らの決断によるべきだと思っています。
これは高校受験でも大学受験でも同じ事。
立場上、相談されれば「○○とかいいんじゃない?」と勧めることは出来ますが、でも、最終的にそこに数年間行くのは本人ですから。
「自分で選んだ」という気持ちが強くなければ、入ってからなんだかんだと不満に思ってしまうものです。

というわけで、情報収集手段の一つとして、高校で進路指導担当をしていた頃の記憶を頼りに、進路情報紙を発刊している出版社様にお願いし、フリーの進路情報紙をいくつか分けて頂きました。
高校によっては生徒全員分を取り寄せて進路指導の一環として全員に配布したりガイダンスで利用していたりするんですが、高校3年段階でも「もらったことない」という場合もあるようなので。。。


進路情報紙については今後も少しずつですが集めていき、有益な情報については随時提供できるようにしたいと思っています。

なお、シグマゼミのサイトには進路情報へのリンク集を設置しております。こちらもぜひご覧ください。


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2011年6月14日火曜日

ちょっと、おかしくないか?

うちの生徒さんの通っている某高校のこと。

高校1年生のその生徒さん、最初の定期試験が終わり、その結果が帰ってきたというのでまぁその結果について色々話をしていたのですが、その中で「大学入試の分厚い本買ったさ」という話になりました。
大学の概要と受験科目一覧が載った、大手予備校などか出版している2500円とかする電話帳のような本のことです。
で、「買って調べるのはエライけど、さすがにまだ早いんじゃないの?」と言ったところ、「学校で選択教科の希望調査があって、来週中に提出なんです」と。

ちょっと待て。
来年度の選択教科の希望ってことは、場合によってはそれによって受験科目が絞られるということ。
つまり、自分の進路の方向性がある程度であれ決まっていなければ選べるわけがないんですよね。
特にその学校はかなり特色ある選択群を持っているので、受験志向の授業と教養志向の授業とで
なので、身につけられるものが大きくわかれてしまう。
であればなおのこと、
・大学で学べる学問にはどういったものがあって
・それはどういう学部で学ぶことができて
・それからどういう学部を受けようとしたらどういった受験科目が考えられて
・それで受けるには学校ではどの科目を選択する必要があって
・この選択を選んだ場合は何に有利で何が不利になって・・・
そういった選択の内容と大学入試の情報をきちんと渡した後でなければ、当然ですが「この授業取ったけど、進路につながらない」とか「あそこ受けたかったけど受験科目が・・・」なんてことにもなりかねません。
それを1年生の6月に、しかも2学年の選択だけじゃなく3学年のものも同時に行い、さらに「現段階では予備調査だけど、でもほとんどキャンセル不可」ってのはどういう事なのかと。
少なくとも、大学入試に一般入試・推薦入試・AO入試があって~なんて話も殆ど知らない状態。
これが話を持ってきた生徒の聞き違いや勘違いであればいいのですが、もしも学校側が本気でこの時期にそこまでの選択を迫っているのであれば、生徒の進路設計に関してはほとんど指導する気がないと言っているようなものではないのかと。

ちなみに、「そんな分厚いの買わなくても、進路指導室に置いてあるんでないの?」という問いに対しては「うちの学校進路指導室、開いてないから中に入れない」とのこと。
これらが全てホントだとしたら、とてもじゃないけれど、その学校、中学生には進学をオススメできないなぁ。。。


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2011年6月11日土曜日

試験の回数が少ないことはいいことか?

私が中学生・高校生だった20年程前、その頃は3学期制で中間・期末試験が学年で5回、それに夏休み・冬休み明けには学力試験があり、その試験では模試のように「中学で今までに習ったところ全範囲から出題」というのが普通でした。
ところが、ゆとり教育の考え方が推進されていくに従い学校で行われる試験の回数も減少しており、今の中高生はといえば、少ないところでは学校で課す試験は定期試験の4回だけなんていうところもあります。
そうすると、試験自体がないため、当然ですが試験勉強の回数も減ってしまいます。

生徒にとっては試験自体がイヤなものですから、試験勉強だって回数が減るのは歓迎されることでしょう。
しかし、試験の回数が減るということは「1回の試験の範囲が長くなり、習ったことを振り返る回数が減る」ということに違いありません。
入試までの長期的な見方をすると、試験勉強という絶好の復習と定着の機会、そして全範囲網羅という模試的な試験の機会が失われたという見方もできるわけです。


塾で指導してきた生徒たちを見ると「学校の試験は点が取れるが、模試や入試ではゼンゼン」という生徒が非常に多くいます。
特に国語や英語では、当然ですが定期試験では”習った文章”で、”習ったことしか出ない”わけですから、模試のような「見たことのない文章は読めない・解けない」という生徒が実際にかなり多いのです。

模試や入試本番で点が取れないことには他にもいろいろな要因が考えられますが、まずひとつは、試験の機会自体が減り網羅的な試験に慣れていないということがあげられるように思うのです。


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2011年6月8日水曜日

「知る」と「わかる」

昨日は中3生の社会科の試験範囲の指導ってことで戦後日本史を軽くさらっていったのですが、正直、自分もその辺りの知識は20年ほど前に習ったきりで消滅しておりまして、資料集と参考書を開きながら一緒に勉強しているというような感じでした。
で、流れとしては「日本の敗戦」→「GHQによる民主化政策」→「朝鮮戦争による特需」→「高度経済成長」と続くわけですが、引っかかったのは”特需”という言葉です。
指導している側の大人はある程度は経済の仕組みが分かっていますから、”特需”という言葉から「戦争の物資を生産して米軍に売ることでボロ儲けしたのね」くらいの想像ができるわけですが、その仕組みが読めない生徒にとっては”トクジュ”という言葉は「焼肉屋?」くらいのものでして、「何らかの専門用語」でしかありません。
そうすると戦後の焼け野原からの復興と高度経済成長に繋がる資金の動きが読めず、その関連性が切り離されてしまいます。

生徒は学校からワークシートを貰ってきており、重要な単語とその周辺知識についてはある程度羅列されているので、それを見れば「知る」ことができます。
また大半の生徒は「教科書の太字は覚えた」という言い方をします。
ですが、その関連性や因果関係については単語の羅列からだけでは理解することはできません。
語句の意味を問われるクロスワードパズルやクイズならそれでいいのかもしれませんが、実際に立ち向かおうとしている公立入試だって一問一答形式の用語テストではないわけで。

きちんと流れを「わかる」ためにはその背景を正確に読み解くことが不可欠です。
そのためには教科書や参考書の本文をきちんと読み、地図を見ながら動きを知り、分からないことは調べという作業がどうしても必要になります。
この作業、実は生徒に教えるためにその準備として私自身がここ数日毎晩行っているわけですが、まっさらな状態から行うと、問題集数ページ分のまとめを作るにも軽く2時間くらいはかかります。
ただ、そうして、知ったことが増え、少しわかってくると、次にはわかっていないことが見えてくる、それをまた調べて、、、ということの繰り返しは、少なくとも私にとっては非常に楽しい作業でもあります。
そして、苦労しながらも自力でワークシートにまとめあげられたものについては、ほとんどが頭に入っており、その時点で問題集に載ってる大半の問題はさらっと解けるようになっているんですよね。
解けない問題があったらまたその時点で調べ直して穴を埋めればいいというだけのことで。

塾としては、試験で点数が取れるように話をまとめてあげて「これだけ覚えれば大丈夫」的なことも重要なのでしょう。
ですが、私としては、それ以上にこの作業と発見が勉強することの本質なのだと、どうにかして生徒に伝えたいと思っています。


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2011年6月7日火曜日

定期試験に向けて

中学も高校も、そろそろ学年最初の定期試験の時期。
いつものことながら生徒は皆さんよく来て勉強しています。

ある高3の生徒さんは常日頃からほぼ毎日3~4時間は勉強していっているので、ペース的にはいつもとさほど変わらないようですが、それでも試験前ということでかなり徹底して計算練習やノートの確認をしている様子です。
理系クラスに居ながら大学受験では文系学科を志望しているため、普段は数学3Cや理科の内容は殆ど触れてこなかったのですが、試験前ということで数学3Cを中心にやっている感じです。

また、ある中3の生徒さんは5月中頃からほぼ毎日来てくれていますが、かなりしっかり勉強していて定着もよさ気なのにひたすら「だめだー、自信ない」と言っています。
確かに1・2年生で扱っていたはずの知識が多少不足していたり問題慣れしていない部分があったりしますが、ノートを見てみると、かなり細かく自分でまとめ直していたりするんですよね。
英単語をひたすら書いて覚えたりとかという作業系の仕事は嫌だと断言してはいますが、自分でノートをまとめる手間をかける事を知っているのなら、勉強の仕方は大丈夫なはず。
堅実に勉強するくせが事前に付いていたこともあり、まだ数回の授業ですが少しずつ知識も増やしていけており、きっといい結果に結びつくだろうと期待しています。

大半の生徒たちにとっては「試験=試される=イヤなもの」でしか有りませんが、逆に「頑張った成果が発揮できる機会」と思ってなんとか乗り切って欲しいものです。

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2011年6月3日金曜日

「明日は友だちと遊ぶから来ない」

昨日がっちりやっていって、帰りには「明日は来ないから。また来週。」と言ってた生徒が予告なしに勉強しに来ました。
こういう、やる気になったときにパッと来て勉強していけるってのが大切かなと。
予定外だったのでその他の作業はどうしてもばたつくわけですが、それでも、これほど嬉しいコトはありません。

一気に頭に叩き込むには

昨日書いたとおり、長期的な観点で理解を残すためには、どれだけ面倒でも自分の手でひとつひとつまとめをしていくしかないと思います。
それがノート丸ごと1冊分の大作になるかA4に1枚程度のコンパクトなものになるかは、内容やその人の理解度次第なのでしょうが、でもどのみち「自分で作る」という作業に大きな意味があるのだと思います。


で、この話を生徒にするときに、必ず思い出すのは大学時代の友人のエピソードです。
彼は運動部所属で自分よりガタイが良く指も太く顔もいかついのに、5cm角くらいの紙で折り鶴を作ったり、2羽繋がった鶴まで小指にのるようなサイズで作ってみせるというような、外見に反し(ぉぃ)えらく器用なヤツでした。
大学の同級生の中でも頭が切れ計算も得意な彼ですが、統計学の試験の時、どうしても公式が頭に入らないというので、試験前日だったかにやたら真剣にカンニング用のメモを作り始めたんですね。
で、初めは幅10cmくらいの紙に公式を並べていっていたんですが「コレでは大きすぎて見つかる」と。
そこで更に小さな紙に書いていき、それでもまだ大きいからと、また作り直し、またさらに小さい紙に・・・
最終的には幅3cmくらいに書いていましたが、結局、何回作り直したんでしょうね?(笑)
歴史の資料集なんかを見ると科挙のカンニング下着の写真なんかがありますが、本当にそんなレベル。
読んでる方はだいたいお察しかと思いますが、そこまで徹底して書きなおしていたので試験の時にはもうすでに頭に入っていてカンニングの必要もなくなっており、もちろん、その労作は本番では使うこと無く済ませたという話。

結局、動機や用途(彼なりの冗談だったと信じていますが)はどうであれ、徹底して必要項目を整理し、何度も書きなおし、さらに改良し、なんてことをしているうちに自然と頭に染み込んだという話ですよね。
おそらくこれは英単語にしても社会科の年号にしても古文の助動詞の活用にしてもそう。
何かを覚えようと思ったらとにかく頭を使ってうまい整理を試行錯誤しながら何度も書くこと、たとえ時間や手間がかかっても、それに勝る方法なんてそうそうないということです。


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2011年6月2日木曜日

復習とは頭の中を整理すること

ここ2回にわたり、「忘れるのが当然で、思い出す工夫を」「”使えるノート”を作り、もっとノートを使うべき」ということを書いてきました。
が、これ、初めて補助輪なしで自転車に乗ろうとするときと同じで、「こうしろ」やら「コツはこうだ」と言われたところで実際にはそう簡単にできるようになるものではありません。


今週あたりから中高ともに定期試験が近づいており、うちの塾に毎日来ている生徒も試験範囲の復習をしているのですが、なにせ時間をかけて教えたはずのことも見事なほどキレイに覚えていない。
なのでその度に「ノート開け」「探せ」「調べれ」ということになるのですが、とにかく見つけられない、もしくはまとまって書かれていない。

「書いていても見つけられない」というのは、まず、何をどういう順番で習っていったかすら覚えていないってことです。
つまり、学んできたことが頭の中で時系列順にすら整理されていない状態。
例えて言うなら、机の上に新聞の切り抜きの束が順番バラバラに乱雑に積み重ねられていて、そこからお目当ての記事を全部めくって引っ掻き回して探している状態。
これをいちいち1枚1枚その都度やるというのだから、時間と労力が無駄にかかるのは当然のことでしょう。
新聞の切り抜きであれば、せめて日付を付け、その順番に置いておくなどするはず。
ノートにしても同じで、何度か見返すなかで頭の中にインデックスを作っておかなければ、いざという時に探せるわけがありません。

切り抜きであれば、時系列に整理できたら、次には「コレは科学、コレは政治、コレは、、、」という感じで各項目の関連性などで分類してファイルするのが普通でしょう。
勉強にしても同様で、学校では決められた順序で習ったものでも、例えば因数分解が方程式につながったり、方程式が関数につながったりと、それぞれに何らかの関連性があるはずです。
それをバラバラに切り離した状態にしておくのではなく、「この部分はココと関連があって~」というリンクを頭の中に作る必要もあるでしょうね。

自分以外の誰かに部屋を片付けてもらった(もしくは強制的に片付けられた)経験のある人はおわかりと思いますが、これらの作業は自分の手で時間と手間とをかけてやるしかありません。
そうでない限り「どこにしまったのかわかんな~い」という状態になって結局はまた全ての引き出しを開けてみるハメになるわけです。
同様に、ワークや問題集の”まとめ”や、学校の先生がご丁寧に用意してくれた”ワークシート”ってやつは、小奇麗に整理されててしまっているがために、作った当人には分かりやすくても、それを与えられる側にとってはまったく印象に残らないほうが多いのです。

結局のところ、どれだけ手間がかかったとしても、自分の力で整理しなおさなければ役にたつものにはならないのですが、中高生を見ていると、与えられたプリント教材やワークシート、そして板書をそのまま写しただけのノート、それらをそのまま眺めているだけで「復習している気になっている」子が非常に多いように感じます。
「うちの子はちゃんと勉強できているか?」と疑問に感じた際は、ノートの使い方を見、何かのポイントについて要点をまとめさせたりするというのも有効な手段です。


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2011年5月31日火曜日

1週間前の晩のおかずを思い出す方法

昨日も書いたとおり、基本的にはどんな人でも意識していないものは時間とともに忘れるものです。
でも試験では習ってからしばらく経ったものが出題される。
なので、「いかにして必要なときにすぐ思い出せるようにしておくか」が問題なわけです。

で、1週間前の晩のおかずを思い出す方法ですが、何のことはない、毎日のおかずの記録をつけておけばいいだけですよね。
ただ、そこに味の感覚までリアルに思い出したいなら日記のように味付けについての感想を書いておけばいいし、鮮明なイメージが欲しいなら携帯電話ででも写真に撮っておけばいい。
本来、授業でとるノートもそういう意味合いがあるはずです。

ところが実際に生徒の様子を見ると、ノートを書きっぱなしで後からそれを見返すということをほとんどしていない。
習慣として見返すことがないから、自分でどこに何を書いたかも把握していないし、書いたものを見ても自分で書いたはずのことに対しても「コレどういう意味ですか?」となる。
「(問題集を見て)センセー、コレわかんない」→「ノート調べてみ」→「こんなのやったことないから書いてないよ」→「(ノートをめくって見せて)じゃぁ、ココに書いてあるこれは?」なんてやりとりが頻繁に行われますからね。

大半の先生が「ノート提出」なんていうクダラナイ課題を課すことから考えても、学校ではノートをとらせる指導をかなり強力にしているはずです。
しかしその一方で「ノートをとることの意味や、とった後のノートの使い方」をまともに指導しているという話は聞いたことがありません。
なのでノートは「黒板通り書いておきさえすればいいもの」に成り下がってしまい、書き写すという作業の徒労感だけが生徒に残ります。
もちろん、何色ものペンを駆使してキレイなノート作りを楽しむ生徒もいるでしょう。
しかし、大切なのは見栄えがキレイなことではなく、後から見返したときに学んだことがリアルに再現できることのはずです。
そういう意味で、板書を書いているかどうかを形ばかり点検するようなクダラナイノート点検など早々にやめて、ノートをきちんと使えているか、使えるノートになっているかを評価すべきだと思うのです。
※実際、大学の推薦入試やAO入試なんかではノートテイキングテストなんてものもあるんですよ →参考

もう少し学校で「ノートを使うことの指導」ってのをしてくれませんかね?

2011年5月30日月曜日

「1週間前の晩のおかず、覚えていますか?」

私が生徒によくする質問です。
まぁ、その日が誰かの誕生日だったとか、クリスマスだったとか、そういった特別なことでもない限り晩のおかずなんざ1週間も覚えているものではないでしょう?
自分なら、、、正直、2日前だって怪しい。
そう、人間誰しも時間が経てば望もうと望まなかろうと自然とアレコレ忘れるものです。
逆に、なんでもかんでもPCのように完璧に記憶してしまい忘れられないという人がいたら、それはそれで苦痛なような気がします。

で、なんでこんな話を生徒にするかというと、
どれだけ熱心に授業を受けてどれだけキレイにノートをとっていたとしても、それだけでは時間とともにいとも簡単に忘れてしまうからです。
場合によっては、アレほど真剣に悩んでいたこと自体すら「そんな事習ったっけ?」というくらいキレイに忘れてしまっています。
そこで生徒は決まって「自分って物覚え悪い。頭良くなりたい。」というわけですが、、、そこがそもそも違います。
忘れることが当然であって、<忘れない努力>、もしくは<パッと思い出せる努力>をもっと真剣にすべきなんですよね。

では<忘れない努力>とは。
小学2年生で、3~4ヶ月の時間をかけてかけ算の九九を学びます。
その間、毎日のように学校でも家庭でも「はい今日は3の段いってみよ~」なんてことをするわけですが、その成果があってか、大抵の子供は2年生の終わり頃には九九の大半が身につきます。
それ以降、九九なんてわざわざ学び直さなくても、まぁ少しぐらいは突っかかるかもしれませんが、大半は言えるようになっているはずです。
つまり、時間をかけてくり返しくり返し覚えたことはそう簡単には抜けません。
このブログを読んでくださってる方、いくつぐらいの方なんでしょう、、、小学校の時の初恋の人の名前覚えてます?
自分、顔は思い出せませんが名前はなぜかまだちゃんと覚えてますよw
その後、転校だ何だで縁は全くなくなっていますが、それでも25年経っていても名前だけでも覚えているってのは、当時それだけ繰り返し頭に思い浮かべていた証拠なんででしょうね。

ただ、中学・高校となると学ぶべき内容も格段に増えていますから、そんなにそんなに一つのことに時間なんてかけてられないですね。
そうすると<完全に覚えてしまうこと>よりも<しかるべき時に正確に鮮明に思い出すこと>の方がより重要になります。

2011年5月24日火曜日

"常識"は変わっていくもの

「日本語が乱れている」とはよく言われるものですが、言語なんて文化活動のひとつの形だもの、流行り廃りは当然あるものだと思っています。

じゃなければ高校の古文はあんなに難しくなりません。
古文があんなに難解だと感じるのは、過去に日本語が変化してきた証拠ですもんね。
"ら"抜き言葉「食べられる →食べれる」ってのが"乱れ"の象徴として挙げられたりしますけど、大昔にだって「~て+あり。→たり。」なんて風に、言葉なんで時代と共に変わるもんです。
結局のところ、「こっちでもいいんじゃない?」というような流れと、それに対する同意が形成されるかどうかであって、お偉い方が「乱れてる」やら「日本語を守ろう」やらと言ったところでそんなものは吹き飛ばされてしまうんでしょう。

ただ、それが教育現場で起こると、その世代からはそれが常識で、旧世代の知識が非常識になってしまうため、途端に大きなジェネレーションギャプになってしまったりもします。

先日、中3生用に英語の不規則動詞を調べていたんですが、英語にも小さな変化があるようで。
確か自分が習ったときには「get(手に入れる)」の変化は「get-got-gotten」だったように思うんですが、今の教科書には「get-got-got(gotten)」となっていて、gottenは使わないようになっているんですね。
一方で、手元の辞書(2005年の版)を調べてみたら、それには「get-got-gotten,got」となっていて、gottenの方が先に来ていました。
いつ頃からなんでしょう? まだ過渡期なんでしょうかね?

そういえば、自分が習った頃は体内の小腸にある栄養を吸収するための組織を"柔突起・柔毛"と習っていましたが、今は"柔毛"しか載っていなかったりします。
似たような例で、当時は生物の"セイチョウ"には使い分けがあって、植物の方は"生長"、動物には"成長"を当てていたように覚えていますが、今はどちらも"成長"になっていますね。

こんな感じで、教科書をよく見てみると細かなところで教えるべき常識が微妙に変化していたりするんですよね。
なので、知っているつもり・覚えているつもりで教えていると、「実は自分が理解した当時とは常識が変わっている」なんてこともあったりするんです。
そういう意味でも、教科書・問題集を一通り眺めて問題を解いておくくらいの余裕が無いと、当時は「真実でも今は嘘」みたいなことを気付かずに言っているんじゃないかとたまに不安になることがあります。

2011年5月20日金曜日

指導カリキュラムをどう組むべきか

大手塾の場合、「この時期にはこの教材、この時期にはこの試験」という様な年間通した流れというのがある程度完成された状態で出来上がっているでしょう。
けど、うちの場合は、生徒さんに会って話を聞いてから、その生徒さんの目標や状況にあわせて「何から手をつけるべきか」から考えることになります。
学校に密着した指導を続けている塾であれば、学校の授業で何がどの程度指導されているのかも生徒からの話や定期試験の出題などから読めるのですが、現時点では情報が少なく手探り状態。
@willであれば講座受講の後で感想を聞きながら、数学であれば指導の中で理解の様子を探りながら、「どこまでが身についていて何が欠けているのか」、「どういう順番で補っていくのが良いのか」を考えるわけです。

現在、高校3年生の生徒さんが毎日遅い時間まで通って来てくれていますが、大学受験までの8ヶ月をどう使っていくべきか、非常に悩むところです。
学校や家庭学習でかなりの水準まで学習が進んでいて足場固めが完成されているのであれば遠慮無く入試レベルの演習に入れますが、そうでないのであれば、高度な内容をぶつけるのはかえって混乱を増すことになってかえって学習効率が落ちることになりかねません。
「この時期だからこのレベルで」という理想的なカリキュラムがたとえあったとしても、千差万別な生身の人間を迎える以上は「その人に合うか合わないか」が全てです。
いかにしてその生徒の力を正確に読み取り、課題を見つけ出し、それを乗り越える材料を提供できるか、そこに指導の質が問われるのだと思います。

その、生徒の実力や欠けているものを見抜き、それに合うカリキュラムを柔軟に創り上げるというのは非常に難しいのですが、でもそこで「この時期はコレで」と出来合いのものをぶつけるだけではないところに、うちの塾の一番の強みがあるように思います。


そんなわけで、来てくれている高3生の生徒さんには、大手塾のセオリーから行けば「3年生にそのレベルを?間に合うの?」と言われかねないものから始めてもらっていますが、本人も私もいたって大マジメ。
基礎と言われるココをキッチリこなすことで、必ず後半戦に猛ダッシュがかけられ、最終的には確実な点数につながると信じています。
あとは長丁場の途中で本人が疲れてしまって投げ出さないこと。
それを支えることも私の大切な仕事です。

2011年5月16日月曜日

なぜ理科を勉強するのか?

勉強しに来てくれている高校1年生が、ちょうど学校で周期表や原子核とかを学んでいるらしく、まぁその辺までなら覚えているのでと軽く説明をしていくと、
「なんでそんな見えもしない電子の移動とか考えないとダメなの?」という話に。

「そりゃ見えはしないが、でも静電気のパチっと来るのも電気が移動したからでしょ?」
「そうなの?」
「いや、、、ストローとティッシュを擦りつけてとか、中学2年で習っているはずだけど。。。」
「あぁ、離れていくとか引き寄せられるとか?」
「そうそうそれ。アレははじめは自分の中でプラス・マイナスのバランスが取れてた電気がどっちかに偏ったって話だったでしょ?」
「なんかやった気がするけど、わかんない。」

いや、こう書くとこの生徒が特別勉強していないように思われるかもしれないけれど、この生徒はストローの話を覚えていただけでもよく勉強している方。そうではなくて、コレがいわゆる普通の生徒の姿なんですね。
つまり、学校で習ったことや問題集で練習したことはあくまでも「学校で課せられる課題」や「試験で点を取る手段」でしか無くて、そこに対して<興味の拡がり>や<関連性を持った理解>というのがついて行っていない。
なので教科書の話は教科書の中で閉じており、現実世界の現象に結びつかない。

本来、理科という科目は身の回りの様々な現象に対して理性的に説明をつけようとしたところから発生したものだと思うのですが、なかなかそうは受け取られないようで。
「なぜ木は燃えると軽くなるのに鉄を燃やすと重くなるのか」や「なぜ呼吸をすると二酸化炭素が発生するのか」から始まり、果ては「放射性物質の拡散はなぜ危険なのか」や「ストロンチウムが体内に摂取されるとどういう事が起きるのか」まで、理科の世界は常に現実世界の現象を考察対象にしてきたはず。
特に高校くらいになると、きちんと学ぶと現実世界に起きているいろいろなことが結びついて説明がつくようになり面白くなってくる分野だと思うんですが、、、

せっかくこれだけ原子力発電所や放射性物質の危険性についての話題が毎日のぼっているのに、そこにほとんど触れることなく周期表だけ覚える授業って、どうなのかなと思ってしまうわけです。


ファラデーという人が150年前(!)に行った講演の記録が『ロウソクの科学 (角川文庫)』という本にまとまっています。
この方は電気分野で有名な科学者ですが、「ろうそくはなぜ明るく燃えるのか」ということを様々な実験を元にして素人の群衆に順序良く非常に分かりやすく説明していき、原子分子の考え方を導入し、最終的には・・・・・・・・・結論部分が秀逸なのでその辺は手にとって読んでいただくとして。
この講演の過程が理科教育のたどるべき道筋とその目標を非常に良く表している気がします。
お暇があったらぜひ目を通していただきたい本の1冊です。

価格は380円と、非常に安いです。
うちの塾にも置いておきますね。

2011年5月12日木曜日

英文は後ろから訳すもの?

またこりもせずに長文読解の話ですが、前にも書いたとおり、高校時代の自分の英語力といえば、もうなんというか、どうにもこうにもならないほど散々な感じでした。
が、駿台で長文読解の手法を習ってからは格段に読めるようになり、センター試験の点数も60点だか伸びたわけです。
そんな経験が自分にあるので、塾に来た生徒にはまずは英文の読み方の"考え方"(まどろっこしい表現だな、こりゃ)からレクチャーしていきます。

聞きかじりなのでアレですし、で、しかも大した話もできないのですが、
「とにかく英語は前から読んでいくもの。後ろからさかのぼって読むものではない」
まずは半年くらいの間、これを徹底して長文に向かってみてよっていうだけです。


当時の自分も含めて、長文を読めていない人の大半がおそらく「英語は後ろから訳していく」と思っているのではないかと。
でも、いつだったか誰かに言われたんですが、「ネイティブの人が、相手の言葉を聞いたときに後ろからさかのぼって意味を考えたりするかい?」

日本語で「これ、去年、うちの弟が買ってくれたぬいぐるみなの」と言われたら、聞き手である私たちの頭の中では「"これ"の話なのね」→「去年?なにしたの?」→「弟が買ってくれたんだ」→「あぁ、ぬいぐるみの話か」と、瞬時にですが前から順番に理解していきます。
誰もコレを<後ろから考える>なんてことはしませんよね?

ところが「This is the doll which my brother gave me last year.」 となった途端に<後ろから訳す>なんてことをしてしまいます。
おそらくネイティブの人の頭の中は「Thisの話題ね。」→「あぁ、doll だよね。でそれが?」→「whichってことは詳しく説明してくれるのね」→「あぁ弟が買ってくれたのね。いつ?」→「なるほど去年か。」 的な解釈をしているのであって、いちいち話題をさかのぼって理解なんていていたら初めの方の話なんて忘れてしまいます。

つまり、話の結論(述語動詞)が現れるタイミングが日本語と英語で違っていて、順々に説明を加えながら最後に結論を話すか、先に結論を言ってから内容を補足して詳しくしていくか、という違いなんですよね。
このことに気づくと「前の方から次の展開を予測しながら読む」ということができるようになります。
そこで、「長文を読むときには、徹底して前から読んでいく。うまい日本語訳を作るのは別の作業」ということを話し、高校入試程度の簡単な文章でその練習を少しずつしつこくしていきます。

自分自身、英語自体は得意ではないですし、教えられるほど文法知識も備わっていないので、伝えられるのはほんのかじる程度だけであとは@willと参考書で頑張ってもらうしかないのですが、まぁそれでも学校でしか習ったことのない人にとっては新鮮な話なようです。



にしても、専門は数学のはずなんですが、なぜかココでのネタにするのは英語の方ばかりですね。。。
数学にも言いたいことは山ほどあるんですが、なにせ数学は数式も図も書きづらいのですよ、HTMLでは。

2011年5月10日火曜日

「本気でやれば・・・」

「やればできる」とはよく言いますし、定期試験後になって「次は本気出す」ともよく聞きます。
が、それでホントに次の機会にその"本気"を出せて成果を上げられた生徒をあまり見たことがありません。

「本気でやる」「頑張る」という心構えはそれはそれで大切なんですが、何事も心構えだけではどうしようもないですよね。
問題は「どうやるのか」という方法論の方です。
ところがそこを考えずに「次は頑張る」という生徒が教員としてクラスの生徒と面談をしていたときには非常に多かった。
「おぅ、それじゃぁ頑張れよ」と言ってオシマイにするのは簡単なんですが、いちいち辛辣な私としては「で、なにをどう頑張るの?」と聞かざるを得ません。
口ごもりながらも一つ二つ自分で考えられればまぁいい方ですが、「試験前ちゃんと勉強する」「ノートをよく見る」程度では「そんなの当たり前だ。それすらやってなかったの?」という話です。

で、問題は、その生徒が<本気の出し方>や<頑張り方>というのをそもそもわかってるのか?ということです。
「復習する」ということを「ノートをぱらぱら見ること」だと思っている生徒がいます。でもホントにそれだけでやったことをリアルに思い出して試験に繋げられるんでしょうか?
「単語を覚える」ということを「単語帳をめくってみること」だと思っている生徒がいます。でもホントにそれだけで語法の注意点まで頭に入るんでしょうか?


<頑張り方>というのは人それぞれで、どれだけ優秀な人からアドバイスを貰ったとしても、それがシックリはまってうまくいく方法もあれば、あまり合わない方法もあります。
なので、とにかくまずは自分で試してみることがなにより先で、それがなければ頑張りようもないのです。
そこの辺りを考えもせずに「次は頑張る」という生徒に対しては、「だったら今から頑張る練習しとけ」と言うわけです。

本気を出すことや頑張ることにも長い期間の練習が必要で、そこがあって初めて本番前で<本気を出し>、<頑張りきれ>、<成果を出すことができる>ようになるのです。
自分の生徒には、その辺りをうまく伝えられ、日頃から頑張り方を身につけさせることができたらと思って指導しています。

2011年5月9日月曜日

参考書選びの難しさ

最近は、本屋に行くとほぼ必ず参考書コーナーで塾に置くものを選ぶためにアレコレ開いてみるのですが、参考書・問題集ってのは本当に選ぶのが難しいですね。(予算の都合上、実際に買うのはAmazonやオークションの古本ですが・・・)
参考書の場合、自分の学習がどの程度まで進んでいるのかで適切なものというのが変わってしまいますし、癖のある解説だと合う合わないも出てくる。
問題集にしても、数をこなすような練習用のものが欲しいのか、1問をじっくり解くようなものが欲しいのかによっても、選択が全然違ってきます。

ところが、本屋に行ってみると、文芸書・ビジネス書・小説さらには絵本のコーナーにもあちらこちらに「今売れてます!」「○○な人に!」「あの○○の新作!」という書店からのオススメPOPが付き手に取りやすくなっているのに、参考書・問題集のコーナーでそういうのを見たこと、、、ありますっけ?
ある程度よく出るものは平積みにされていたりはしますが、かといってそれらが手にとったその人にとってイイ物かどうかはまた別な話。
というか、少なくとも私が開いてみて「これはイイ、今欲しい」と思った事自体がむしろ稀だったような。。。
それで今度は手に取りやすそうな「わかりやすい○○」とか「1週間で完成!」とか「現役東大生が~」とかを開いてみたりするわけですが、そういう派手な煽りのついた問題集も、開いてみると中身スカスカだったりもしますしね。。。
そんなわけで、休みの日にそのコーナーへ行くと、必ずっていいほど何を買ったらよいのかわからず、書棚の前で右往左往している学生さんに出会います。

自分の生徒に対しては
 「基本の確認用なのか受験に向けてなのか、買う目的を明確にしておく」
 「問題集は必ず解答・解説を読んで理解できるものを選ぶ」
   (本当は少し理解出来ないくらいの方が頑張ったとき力になるんだけど)
 「同じテーマのページを開いて比較してみる」
    (例えば『2次関数の最大最小』、『関係詞』、『敬語』など、そこそこ難しいところ)
など、まぁいくつかアドバイスをしたりしますが、それでもやっぱり「自分にはこれが欠けているからこの本」なんてのをピンポイントで見つけるのは非常に難しい。
そもそも「今の自分にどんなものが欠けてて何をすべきか」を正確に見抜くこと自体が至難の業ですし。


というわけで、参考書選びの手伝いをすべく、シグマゼミの本棚には「うちでの授業に合わせるなら、まずはコレから」というのを選んで設置しています。
例えば、
 @will『英語長文読解へのアプローチ』に合わせて
   →『英語総合問題演習英文和訳演習(駿台)

 @will『ゼロからはじめる古文』に合わせて
   →『古文解釈はじめの一歩(駿台)

 私の数学授業に合わせて
   →『大学入試基礎力判定問題集(学研)』 『チェック&リピート(Z会)

というような感じです。

現段階で取り揃えているこれらは、"今来ている生徒さん"の"今の力"に合わせて買っていっているので、当然ながら大学受験を意識していても<入門用>が中心。
今後の生徒さんの学習の進度に合わせて、より高いレベルのものを買い足していくことになるでしょう。
なので、いずれ「これじゃちょっと物足りないから、次はこんなの探してください」と言われるのが、楽しみの一つだったりします。

2011年5月8日日曜日

PCでできるペンシルパズル 『PICMA』

週末なので息抜きを。
『イラストロジック』とか『ピクロス』なんて名前で呼ばれたりもするヤツです。

Picma
http://kaetheryan-chronicles.com/picma

英語圏のサイトなので「遊び方(How to play)」や「コツ(Tips)」なんかもすべて英語で書かれていますが、、、その辺は頑張って読んでいただくとして。


しょうもない話ですが、
よく中学生あたりに「なんで英語なんて勉強しなければだめなの?」と聞かれた場合、模範解答的には「世界中の人とコミュニケーションを取るため」というのでしょう。
が、自分にとっては「海外のゲームをするため」くらいだったりします。
実際のところ、大学卒業後、インターネットの普及で海外物のゲームで遊ぶことが増えたので英語に触れる機会は非常に多いんですが、でも英語で人と喋る機会はと言えば、、、この10年で1回あったかな?

あ、でも、ゲーム中にチャットができるものの場合、いきなりあちらから英語で話しかけてきたりしますんで、やっぱりコミュニケーション手段として、ある程度は英語で会話できると、より世界が拡がって楽しめるというのは間違いないですね。

自分がそんなことに気づいたのは、インターネットを使い始めてから。
インターネットの普及自体が1997年辺りからですから、、、中学高校で「ネットで遊びたいから英語をしっかり勉強しよう!」と思うには、ちょっとネットの普及の方が遅かったんですよね。
あと5年早かったら、学校でもうちょっと真剣に英語を学んでいたのかもしれません。

2011年5月6日金曜日

シグマゼミへのバス路線

というわけで、先日、お問い合わせの電話でバス路線について聞かれたのですが、今ひとつ良い返事ができなかったことが連休中も気になっていました。
シグマゼミのサイトの方にまとめておきましたのでご確認下さい。
 →シグマゼミへのバスでのアクセス 路線図および時刻表

新川営業所が近いためか、バスを利用すると意外といろいろな方面から通うことができるようです。

小さなサービスの大切さ

連休を利用して実家に帰ってきました。
自分で塾を開いてからは初めての遠出でして、今まではさほど気にしなかった小さなことが何かと気になりました。

移動中に立ち寄った某道の駅は、観光時期には大型バスも頻繁に立ち寄り、駐車場も常に混んでいるという有名な休憩場所です。
寄った日も大した混雑で、駐車場は満車状態。
で、その駐車場には誘導員(?)が2人いて互いに無線を持っているらしいのに、一切空き場所の誘導をしないでひたすらブラブラしているだけ。
結局入口のところで車が詰まって、入場するのにもしばらく待ったのですが、誘導員って「あっちに空きありますよ~」っていうのを教えて車の流れを良くするために配置しているのでは?

実家の街の駅前は、ここ数年で人の流れが変わってしまい、すっかりさびれてしまっているのですが、大きなデパートが2軒向かい合わせで並んでいます。
1軒は昔から変わらず埋まっているんですが、もう1軒はすっかりテナントも離れてしまっており3・4階がフロア丸ごと閉鎖になっているという状態。
ところがその5階に、なかなか良い子供向けのスペースが出来たというので行ってみたわけです。
が、なんとなく薄暗いデパートに入りエスカレーターに乗ると2階でストップ。
「3・4階閉鎖中のためエレベーターをご利用下さい」とのこと。
で、そのエレベーターはといえば小型のものが1機しかない。
そして帰りは、7階にそこそこ人の入っている店があるためか、5階から乗ろうとしても「満員のため通過」ということが起きる。
このスペース自体はとても面白くまた利用したいと思うものだったんですが、商業施設の形としてはどうなんでしょう?
「エスカレーターを運転して、空きスペースの階はパネルとか置いておけばいいのに」 とは嫁さんの発想。
たしかに、5階に行くまでの間に市内の小学生の絵とかを貼っておくだけでもぜんぜん印象は違うでしょうね。

もう一方のデパートの方は1階・地階を通過しただけなのですが、こちらも人出は薄く、数えられる程度のお客さん。
ところが出口のすぐ横(同じ建物内)の某有名ハンバーガーショップだけは、15時だというのにその入り口から外に並ぶまで客があふれている状態。
なのにデパート側にはその店に入る入り口はなく、待つ人は外にいないといけないんですよね。
天気のいい日であればまだ待てるでしょうが、悪天候の日はわざわざ外で待ってくれるでしょうか?
そこでわざわざ人の少ないデパートの化粧品売り場に入っていきますかね?
逆に、もしデパート側にスペースがあったら、待っている間に店内を見回す人がいたりしてもおかしくないと思うんですが。

もちろんそれぞれの件について、意図しているところはあるんだとは思います。
デパートにしたってエスカレーター動かすのに経費がかかるでしょうし、飲食店の匂いとかをデパートに入れたくないのかもしれないですし。
誘導員さんにしても、たまたまうちらが行ったその時だけ上手くいってなかったのかもしれません。
でも、通り過ぎのお客さんがそのちょっとした所に不満を感じ、「こんなところならもう来ない」ということが複数重なってしまうとその地区そのものの印象が悪くなると思うんですよね。
特に実家の街は道内では有数の観光都市として知られている場所。
街の窓口に当たる駅前のサービス力の低下は街全体の印象を左右しかねません。

「〇〇無料!」のような大きなサービスは、単発で終わってしまうので期待はしません。
そうではなく、たまたま寄ってみた人がちょっとでも気分良く帰れるような小さなサービスの方がより大切だと思います。
自分で塾を開き、お客さんをひとりで迎える立場になって、そういう小さなところに気を配れる様になりたいという自戒を込めて。

2011年5月2日月曜日

そんなに急いで、、、

複数の学校で勤務した上で、塾で高校生を見ているのでより一層思うことなんですが、
数学の授業、そんなにハイペースに進めてどうしようっていうんですかね。。。

前にも書きましたが、数学にはどうしても教科書以上に解説を加えなければならないところがいくつかあります。
高校1年生の初めの方で言うと『絶対値』や無理数の計算の中で現れる『対称式』がそれに当たります。
そこは式変形に至る考え方がのちのちまで重要になる箇所なので、式だけ見たり公式だけ覚えても何の役にも立たない、時間をかけてでも一度きちんと理解をする必要があるところです。
なので、自分が授業をする際にはそれぞれの説明に1時間はどうしても費やしますし、課外講習なんかを組む場合にもまずはここを抑えようとします。

が、その重要ポイントを15分くらいで通過するような授業もあるようで。。。


塾に勤めるようになって市内近郊のいろいろな学校(札幌南・北をはじめ、北嶺・大谷・光星・立命・日大などなど)の生徒から授業の様子を聞くわけですが、「ジックリ丁寧に解説を加える」というタイプの授業を受けているという話はまず聞いたことがありません。
とにかく早く先へ行き、テスト前になってからひたすら演習を繰り返すという授業が多いようです。
ある学校では定期試験前にその模擬テストを3・4回繰り返して手の内を明かしてから試験をするところも。
定期試験で点を取らなければならない生徒にとっては、短期的にはそれでもいいのかもしれませんが、でも、ひとつひとつをきちんと理解せずに進んで、試験前に形だけ問題を解けるようになって、その後はどうするんでしょう?
「解き方は知ってる」というだけでは、汎用性はありませんから、ちょっと問題の形を変えただけで手に負えなくなるのは眼に見えています。
結局、付け焼刃で覚えたものはその後あっという間に記憶に残ることは無く消えていってしまい、模擬試験なんかではなんの役にも立たないことの方が多いんですよね。


私立の中学なんかは特に顕著で、ほとんどの私立中が公立中の3年分を2年生までで終了し、高1内容を中3から指導し始めます。
ところが、たとえ中学入試をくぐってきたとは言えども、どこの私立中もそもそもの入試倍率が低い状況ですから、そんなにそんなに学習力の高い生徒ばかりが集まるわけではありません。
むしろその1.5倍速の授業に対応してきちんとついて行ける生徒というのは一握りしかいないと言っても間違いではありません。

本来、1.5倍速で授業をするメリットは「高2までで高3分を終了し最後の1年を大学入試演習に」というところにあるのですが、結局はハイペースで飛ばしてきた内容の復習と穴埋めでそのメリットは食いつぶされるわけです。
もちろん、出来る生徒も中には居ます。ですが、「学年の上位1割だけに照準を当てる学校教育ってどうなのさ?」という話です。

定期試験前の問題演習の時間を<生徒のため>と思っている先生が多いようですが、本当に生徒のためを思うなら、もうちょっと時間配分を考えて、どの生徒もつまづくところくらいはきちんと見抜いてしっかりと指導してもらいたいもんです。


というわけで。
「うちの学校、進むの早すぎてもう無理!」と思っている方はお早めにご相談ください。
生徒数の少ない今なら、なんぼでも個別に見られ、穴埋めが可能です。

2011年5月1日日曜日

@will オススメ講座 『英語長文読解へのアプローチ』

前に書いたとおり、高校以降の英語は「文構造が正確に読み取れるかどうか」というところにひとつの焦点があります。

もちろん文法・語法的に新しい知識を補充していくことも重要ですが、それと並行し英文の構造に気を払っておくことも重要になってくるわけです。 

中学校的な「英単語をそのまま日本語に置き換えて意味を考える」ではどうしても限界が来るわけですね。

そこで、<英語の長文を正確に読み取る>というテーマに絞って、系統的に英文を読む練習が必要になります。
先に紹介している参考書を元に独学で進めていってもいいわけですが、 知らないものを1から自力で本から読み取って身につけていくというのは、なかなか難しいものがあります。
かといって、八反田の大雑把な説明では中学から高校1年程度の初学者には間に合うとは言え、これから大学受験へ向かっていこうとする高校生には不十分でしょう。
というわけで、その辺りを@willの講座に探してみましょう。


今回のオススメは『英語長文読解へのアプローチ』 です。
全25回の短期講座ですが、講座は「すぐに辞書を引くな」からスタートします。
「辞書は引いて第1義を読むだけでは不十分、きちんと品詞や語法まで読むこと」という、ともするとアタリマエのところから講義は始まります。
そして「主語と動詞を探す」「andやbutの役割」と続きますから、まぁ、英文を読む上での基本事項の確認とも言えます。
ですが、まぁ少なくとも自分は高校当時これが出来ていなくて苦労したわけですから、自分同様に迷路をさまよっている方も現役高校生には少なくはないはず。そういった「学校で習う英語はなんとなく出来てはいるけど、模試になると全然文章が読めない」という方にぜひ受講していただきたい講座です。

もっとも、短期講座だけに概論的な部分が強く、個人的にはもうちょっと文構造をしつこくつついてもらった方が効果的かとは思いましたが、、、その辺はまた別な講座を探すとしましょう。


前回紹介した『ゼロからはじめる古文』同様、本格的に英語長文を読み始めるその前に、心構え的に受講していただくと効果的かと思います。


~~~~~~~~~
講座名:『英語長文読解へのアプローチ』   講師:宮崎裕史 全25回
  辞書を読むための基礎知識→SVの把握→英文構造の特徴→読解演習→問題への考え方


@willはシグマゼミで無料体験が可能です。
各講座の詳細なども差し上げられますので、ぜひ一度792-0490までお問い合わせ下さい。

英語の学習についての反省

その後がその後なので自慢にもなりませんが、中学時代、英語はそれほど不得意という感じでもなく、中3では先生の推薦で英語のスピーチ大会に出場したくらいでした。
ところが、高校に入ってどんどん英文が読めなくなり、高2の学年には留年を賭けて英語の追試を受けるという始末。
なんで2年間でこうも出来が変わってしまったんでしょう?

その解答が明確になったのは浪人をして駿台予備校に通い『英語構文』と授業を受けた時です。
確か斎藤寛という東京から出向されている先生でしたが、この授業ではとにかく「英語は前から読むものだ」ということを叩き込むというか染みつけるというか、そういう授業でした。
曰く
「文中には必ずSVが1セットあるからそれを探す」
「動詞が2つ以上出てきたら接続詞や関係代名詞の存在を確認する」
「thatにはいろいろな働きがあるから、thatが出てきたらその後に完全な文があるか確認する」
「前置詞は後に名詞を伴って・・・」
うんぬんかんぬん。

要は動詞の存在を頼りにして文の構造・修飾関係を正確に捉えるという授業なんですね。


それまでの自分の英語学習といえば、文法はある程度頭に入ってはいたものの、文を読むときには「単語の意味を調べる→意味を当てはめる→なんとなく日本語にする」という極めて稚拙なものでしたから、文の構造に気をつけて読むなんてことは全くしてこなかった。
だからひとつの単語に複数の用法や意味があってもそこを見分ける術がなく、なんとなく日本語で当てはまるものを選んでいた。
で、それで通用するのは文構造が単純な中学校英語までだったというわけです。

ところがその授業では、まず単語の訳は置いておいて、「それぞれの単語がその文中でどういう働きをしているか」から考え始める。
英文構造のルールに則り、推理小説を読むかのように手がかりを探し、パズルを解くかのように構造を見抜いていく。
これが英文を読む際のアタリマエの習慣として身に染み込むまでにはしばらく時間がかかるんですが、それでも一旦慣れてしまうとものすごく力を発揮しました。

そんなわけで、自分の失敗をたどらないようにしてもらうため、生徒にはなるべく早い段階で、カンではなく理論に則った英文の読み方を身につけて欲しいと思って指導しています。

※駿台の英語指導法に興味を持たれた方は、こちらの本をご覧ください。
英文解釈教室   英文和訳演習  (どちらも伊藤和夫)
なお、どちらの本もシグマゼミの書棚にそろえてあります。

2011年4月27日水曜日

『塾らしくない空間』??

Webサイトの方には"アクセス解析"なるものがついていて、「どんな地域から」「どこのサイトから」「何人」「どのページを見て」「どのページで見るのをやめたか」なんてことがある程度わかります。
それを見ると「新しくサイトにたどり着いた人のうち5割くらいはトップページだけ見てすぐ帰る」なんてこともわかるわけで、「うちのサイトって文字が多いから読みたくないだろうなぁ」などと凹むわけです。

面白いのが「検索ページからどんなキーワードでたどり着いたか」で、まぁ、札幌の塾のサイトですから、当然ながら<札幌市 塾> <札幌 北区 塾>なんてのが多くなるわけです。
学習空間シグマゼミ>と検索してくださった方は、チラシや他のサイトで塾名を知って、わざわざ検索をかけてくださった方ですね。 ありがたいことです。
最近は減りましたが、たまに<シグマゼミ>というキーワードで鳥取の方もいらしていました。
、、、すいません、鳥取にも同じ名前の塾さんがあるんですが、そちらのページではないんです。。。

で、今日の記録を見ると<塾らしくない空間>というキーワードが。
まぁ確かにうちはあんまり塾っぽくないですが。。。

なるほど、<>と<空間>と<らしくない>という言葉がそれぞれ別の文脈の中でヒットしたようです。
当然ながらその方の期待した検索結果ではなかったとは思うんですが、それでも何ページかサイトを覗いていってくださったようでした。
ありがたいことです。

2011年4月26日火曜日

久しぶりに晴れ間が

日中はずっと教室にいて準備やらをしているわけですが、それでも、こう晴れているだけでも、気分も少し軽くなるものですね。

本音は、散歩や昼寝に行きたいところですが。。。

2011年4月25日月曜日

@will オススメ講座 『ゼロからはじめる古文』

高校時代、古文の時間が非常に苦痛でした。
「なんで昔の言葉の勉強をせにゃいかんのか」「助動詞の活用を覚えてどうしようというのか」「昔の人の日記読んで何が面白いのよ」と、まぁまぁいくらでも理由を作れるほど、本当に嫌いだったんですね。

一方で漢文の方は故事成語の起源とかを知るのが好きだったので、何の抵抗もなく勉強していたのですが。
冷静に振り返るとおかしな話で、いくら見知った漢字の並びとはいえ、漢文こそ外の文化で、馴染みがないはず。
なんのことはない、理由なんかどうでも良く、内容に対して面白いと思えるかどうかがほぼ全てだったわけです。

ところが、前の職場(予備校)で、ある国語の先生がアレコレ生徒の古文の質問に答えているのを横で聞いてみると、きちんと人物関係や当時の風俗・習慣から丁寧に教えていらっしゃる。
なるほど、「隠居した人の独り言」としか思えずあれほど興味を持てなかった日記物・随想物も、よく良く考えてみると当時の風俗を伝える貴重な資料なんですね。
そう考えると「ちょっと読んでみようかな」という気になります。

ただ、そこでネックになるのが文語文法です。
既に高校を終了した皆さんには助動詞の活用やら接続やらをアレコレ覚えた記憶があるはず。
そしてやたらと入り組んだ敬語。
ただ文を読みたいだけなのに、なぜにあんな面倒な暗記を強いられるのかと。。。


というわけで、<私と同じくらいに古文アレルギーを持った方>もしくは<古文の学習が始まる前に免疫をつけておきたい方>に朗報です。
@willの講座の一つ『ゼロからはじめる古文』では、「なぜ古文が読みにくいのか、どうしたら現代文のように読めるようになるのか」に焦点を当て、「きちんと手元にある文章から内容を正しく読み取る」ための方法を学べます。
「古文に違和感があるのは名詞の下に助詞が省略されているから→助詞をどう補うか」「係り結びはどう訳せばいいのか」文語文法の入口部分を、拒否反応が起きないように分かりやすく説明してくれます。

全20回、1回あたり15分程度ですから、1~2週間の集中受講で終えることができます
古文って読みにくいし難しい、そう思っている方にぜひ体験していただきたい講座です。

~~~~~~~~~
講座名:『ゼロからはじめる古文』   講師:谷島康敬 全20回
 古文解釈のルール→助動詞の考え方→係り結びの考え方→古文の解釈実践→敬語の考え方


@willはシグマゼミで無料体験が可能です。
各講座の詳細なども差し上げられますので、ぜひ一度792-0490までお問い合わせ下さい。

2011年4月23日土曜日

今日も高校生はしっかり勉強しに来ています

外はヒドイ天気ですが、それでも高校生2名はしっかりと勉強しに来ています。
一人は高1で数学を、もう一人は高3で、受験勉強に向けて各教科の足場固めを。

「天気や気分に左右されず毎日しっかり勉強する癖をつける」、このことが必ず成果になって現れると信じています。

2011年4月22日金曜日

大人になってからこそ「勉強したい」と思うのもの

シグマゼミで高校生向け教材として利用している佐鳴予備校の@will
東進衛星予備校のような感じのVOD教材ですが、大手予備校講師の本格授業を手軽に、しかも低価格で受講できることが売りです。

で、最近の私の楽しみはといえば、生徒が帰った終業後に、生徒に講座を紹介するためのサンプルチェックと称して夜な夜な講座を見漁ることでして(笑)
しかも、見るのは主に専門外の文系科目。
学生当時から今に到るまで、苦手というか嫌いというか、とにかくアレルギーを持っていた古文の講座なんかを見ていたりするわけです。


予備校の授業というと、イメージとしては「大学受験向け問題演習ガッチガチ」なイメージが強いですが、
@willもまぁ確かにそういう講座が大半を占めているのですが、でも高校1年生の初学者向けに各教科のほんのさわり部分を丁寧に紹介している講座もいろいろあるんです。
自分が見ているのはそれらが中心ですが、これがなかなか面白い。
学生当時、古文の授業は昼寝タイムでしたが、でも、「こう読むべきものだったのかぁ!」と今更ながらその面白さにハマっています。
英文読解にしても物理にしても同じで、最初から丁寧に順序良く説明されるので、一度通過してきたはずの内容ながら、目からウロコってことが盛りだくさん。


勉強の面白さって、学生生活を終えてからの方がよくわかる気がします。
空いた時間を少し自分磨きに使ってみたいという方、少しお試しで予備校の講座、受けてみませんか?

2011年4月21日木曜日

夢と現実との距離

小中高と段階の差はあれ、なにかしらの夢がそれぞれの中にはあると思います。
小学1年生のときはサッカー選手、それがいつの間にか医者志望に変わり、もしかしたら高校で「医者は難しそうだけど、医療技師なら」となるかもしれない。
口にだすかどうかは別として、でも思い描く夢って必ずあると思うんですよね。

幼い頃は「いいねぇー、目指してがんばってねー」で済みますが、現実に選択を迫られる時に近づくにつれてそうも言ってられなくなります。
今の状態と夢の実現までの距離を正確に測り、どういう手順でそこに近づくかを真剣に考えなくてはなりません。

自分の仕事はその距離を正確に測るメジャーを用意することだと思っています。
今の位置と目標の位置を正確に認識させ、そこに到達するための手段を紹介し、ペース配分とちょっとしたアドバイスを付け加えること。
助けることは出来ても、でも、最終的には、自分の足で自分の力で歩いてかなければ、どうやったってそこには到達できませんから。


どれだけ早くその事に気づき、自分の足で歩き始めるか、結局はそこなんですが、
どうも、一足飛びに目標へ到達できる魔法の羽を期待している生徒が多い気がします。
なので、自分の最初の仕事は「そんなモノは存在しない」ときっぱり否定して、引っ張ってでも歩かせることなんですが、これがまた、なかなか。。。

締切り時間が迫って焦る前に、少しずつでいいから歩いて目標に近づいていってくれれば、みんながそうしてくれると、受験後に悔しそうにしている生徒をきっと見なくてすむのですが。。。

2011年4月19日火曜日

見えない努力の重要性

自分が今まで見た生徒たちにはまぁ勉強が得意な子から苦手な子まで様々いましたが、でも、「何もしなくても頭がいい」という子はそのうちのごくわずかに限られていると思います。
それ以外の大半の子は見えるところ・見えないところ、必ずどっかかんかで努力をしており、その努力の成果ではなかったかと思うんですよね。

一流の野球選手になろうと思えば「基礎体力をしっかり付け、筋肉トレーニングをし、素振りをし、走りこみをし」、そうやって少しずつ身体能力を上げていくはずです。
そして、それが周りに認知されていようとなかろうと関係なしにストイックに自分の能力を高めてきた成果がプロの方たちではないのかなと。


ところが、どういうわけか勉強ということに関しては「基礎計算をし、単語の書き取りをし、年表をまとめ、話をよく聞き、良く考え」という部分をすっ飛ばして「あいつは頭がいいから」としか生徒は言いません。
「基礎計算をし、単語の書き取りをし、年表をまとめ、話をよく聞き、良く考え」の部分は時間をかければ誰もができることのはずなのに、その時間をかけずに結果だけを追求する。
その結果、できるように変われるチャンスを逃し、「私は頭が悪いから」と自分で言い訳を作り、さらにやらなくなる。
どっかでその負の連鎖を断ち切ろうと思うのですが、これがなかなか伝わらない。


本気で心配するからこそ本気で話をするわけですが、反抗期真っ盛りの子たちにとってそれはただの小言でしかない。
かと言って衝突を避けなぁなぁでやっていてはどうやったって目標到達までに間に合わない。
きちんと分かってもらうためにはどうしたらいいのかと、いつも悩みます。

2011年4月18日月曜日

「見たらわかるとこなので飛ばします」

高校1年生で学ぶ数学Iの最初の単元は『式の整理・展開』という、「中学の復習+ちょっと」くらいのところからスタートします。
実はその「+ちょっと」のところの理解が後々非常に大切になるんですが、知りうる限り、ここの範囲をきちんと丁寧に指導している学校はほとんどありません。
「教科書見たらわかるでしょ」という認識のもとで春休みの予習範囲に組み込まれ、1学期の授業はそこを素通りして次からスタートする場合が非常に多いのです。

ところが、ほとんどのみなさんが学生時代に体験済みかとは思うのですが、数学ほど「見て分かれ」というのが難しい教科もないように思います。
計算の仕方や式変形の仕方、公式の使い方はひと通り書いてあるものの、「なんでこんな計算をしているのか」という"計算の意味や背景"についてはほとんど触れられていないからです。
ホントはそこの部分こそきっちり説明を加えて、「計算練習は家でじっくりやっておけ」というのが正しいと思うのですが、なかなかそういう先生には巡りあえません。

というわけで、せめて塾に来てくれる生徒に対しては、「なんだか分からんが計算だけはできる」→「何を計算したらいいのかわからんので結局何もできなくなった」というよくあるパターンに陥らないよう、簡単な部分こそ、その背景を丁寧に指導したいと思っています。

2011年4月17日日曜日

「ゆとり教育」の目指したもの

「ゆとり教育」という言葉が「学力低下の原因」という感じで、ここ10年くらい叩かれに叩かれました。
その結果、文科省も方針を転換し、教科書の内容を増強、学習内容も大幅に増加し、今年度からは小学校の教科書もかなり厚みを増しています。


ところで、1990年代から導入されたきた(それ以前のカリキュラムからという評価もありますが)ゆとり教育の本来の目的は何だったんでしょう?

当初は「過度の詰め込み教育を見直し、総合学習などを通じて学問の有機的なつながりを作り経験的な学力を育てる」のが導入の目的でした。
学校では『総合学習の時間』というのを設置しましたが、これはこれで明確な到達目標が設定されていないため、指導も評価も非常にしづらいものでした。
もちろんこの時間を効果的に使えている学校もあるにはありますが、どちらかというと通常授業の補習に使われたりしたわけです。
そもそも、基礎学力自体が身についていない状態で、科目横断的な総合学習の指導が実を結ぶこと自体、非常に難しいですし。

また、一方で、土曜日の通学を無くすことで<その時間は家庭や地域などで課外活動・総合学習的な活動に使ってもらおう>とも言われていたんですね。
でも「学校が休みだから今日は水族館、来週は博物館、その次は山登りに行ってこよう」なんて、毎週毎週学習的なことをできている家庭、どれだけ有るんでしょうね?

そんな感じで、大きな目標はあったものの、目標に対しての達成手段に欠けたために骨抜きになり、「学ぶためのゆとり」が「時間を持て余したただのダラケ」に大きく傾いてしまっていたのが批判されているゆえんです。

でも、「過度の詰め込み教育を見直し、経験的な学力を育てる」というこの考え方自体は決して悪くはないと思うんですよね。

例えば、以前勤めていた札幌聖心女子学院では、総合学習の時間として中学・高校を通じ図書館とインターネットを利用した調べ学習を徹底して指導していました
図書館で好きな本を探すところから始め、 テーマに合わせて文献を調べ、それをまとめ、さらに深め、プレゼンテーションにして一人一人に発表させるということを全ての生徒に対してしています。
もちろん、それをやり切るには非常に高い能力が要求され、きっちりやりきれる生徒と苦戦してボロボロになる生徒はいるわけですが、その作業の中で辞書をひくことや得た情報の整理の仕方、ノートへのまとめ方や人への伝達の仕方など、実は後々社会で要求される<自分の力で学び取るスキル>を少しずつ身につけていくわけです。


「わからなかったらノートを見ろ」「あとから見てわからないようなノートを作るな」とは、私個人が札幌聖心に勤める前から生徒には言い続けてきたことなんですが、それを授業として一から指導できる学校は少ないと思います。
しかし、それこそがゆとり教育の目指したもののうちの一つではなかったかとも思います。
そういったきちんと目標を定めてそれに対する教育を開発していた学校も少なからず有ったということは、ほとんど報じられることはありませんが、もう少し評価されてもいいと思うのです。

ゲームばっかやってないで!

とは自分も子供の頃よく言われたもんですが、
ゲームにだってモノによってはいい面はたくさんあります。
例えば将棋や囲碁・オセロのようなボードゲームは、相手に勝つためには先読みが必要ですし、
『モノポリー』や『いただきストリート』だって、かなり高度な駆け引きが必要です。
面子が集まらなくて大学以来ほとんどやってませんが、麻雀だって手の読み合いですよね。
『テトリス』や『ぷよぷよ』などのアクションパズルゲームも次の手を考えながら進めていくはずですし、

なんだかんだで結構頭をつかうゲームって多い気がします。

てわけで、ネットでできるちょっと頭をつかう無料のボードゲームを一つ紹介。
『BLOKUS』 http://www.blokus.fr/online-game/



4人のプレイヤーが与えられたピースを盤上に並べていく陣取りゲームです。
「自分のピースは置いてある自分のピースの”角と角をくっつけるように”置きます」
また、「置いてある自分のピースと”辺をくっつけてはいけません”」
ルールはこれだけ。
要は角を殺さないようにスペースを作っていくわけですが、、、

http://www.blokus.fr/online-game/ から、「クイックプレイ」を選択するとお試しで遊べます。
気に入った方はボードゲーム版が販売されていますのでぜひご家族で。

天気がいまいちな日曜日、ちょっとした暇つぶしにどうぞ。

2011年4月16日土曜日

こんな雨の日には

朝から何となく肌寒く感じてましたが、とうとう降ってきましたね。。。

で、こんな外に出るのも面倒な雨の日には、家の中でペンシルパズルでもしませんか?

一時期、海外で『Sudoku』の名で流行になりニュースでも取りあげられた『数独』。

『ナンバープレイス(ナンプレ)』なんて呼び方もされていますが、『数独』という名を定着させたのは『ニコリ』というパズル雑誌です。
この『ニコリ』、数独以外にもいろいろなオリジナルパズルが収録されており、そのどれもが「単純なルールでじっくり考えさせる」味のある物。
やってみるときっと自分好みのものが見つかるはずです。

「そうは言ってもなんかとっつきにくそうだしなぁ。。。」という方、シグマゼミまでご連絡下さい。
自分でパズルを楽しめるようになる入り口のところまで、ご案内します。
(解き方やらコツやらとあんまり人から聞いてしまうと、かえって楽しみが減ってしまいますので)

『ニコリ』の公式サイトは http://www.nikoli.co.jp/ja/
無料でいろいろなパズルの体験もできますのでぜひお試しください。

子供の無邪気さと残酷さ

新聞記事にもなっていたのでご存知かとは思いますが、福島から避難してきた子に対し「放射能がうつる」といじめたっていう話がありました。

で、Yahooニュースのコメント欄なんかでは「これは酷い」とか「人の痛みがわからないヤツは」とかってのがあったりするわけですが、でも、自分が子供の頃、それこそ小学校の低学年の頃、「あいつバイキン~」とかって叫んで走り去る光景、あったと思うんですよね。
もちろんそれがずっと続くわけではなく、なんだかんだで数日で仲直りしたりして。
たぶん、件の子供も同じ程度のノリではなかったかと。
小学5年くらいになるとまた話は違ってきますが、その以前であればほとんどの場合、悪意なんて無くどっかで覚えた台詞をそのまま言うもんです。

で、問題は、それをたしなめて修正をかける大人が近い位置に居るかどうかではないのかなぁと。
 映画『となりのトトロ』の一場面に、オンボロ一軒家に引っ越してきてすぐの主人公姉妹に対し、その同級生の男の子が「おまえんち、おっばけや~しき!」と叫んで走り去る場面がありますが、それに対して、彼のおばあちゃんが「こらぁ~カンタァー!」とすぐに大声で怒るんですよね。

前に勤めていた塾でも、同級生の仲間の髪の毛のことをネタにして笑っていた生徒が居ました。
もちろん悪意のある言い方ではないし、言われた本人も笑ってましたから、そんなに気にはしていなかったんでしょう。
でもそこで「たとえその時相手が笑っていても、相手の身体のこととかをネタにするのは駄目だ」と言ってあげることが、親の次くらいに近い位置に居る我々の責任なような気がします。

ニュースになった言った側の方の子の周りに「こらぁ~カンタァー!」と怒鳴ってくれた人がいた事を願います。

2011年4月15日金曜日

昼間の時間の使い方

日中の時間帯というのは、一般の会社勤めの方にとっては勤務時間なわけですが、塾にとっては生徒が来るまでの授業準備時間であり作業時間であり、午前中なんかはホントにただの空き時間だったりします。
その間、もったいないことに教室は使われずにおりまして、ホワイトボード・机・椅子・コピー機はただの置物になっています。
前に勤務していた塾でも思っていたことなんですが、ホントにもったいないと思うんですよね。。。

例えばご近所の方で簡単なカルチャースクール的な催しにも使えるでしょうし、サークル活動なんかにも使えます。
匂いや汚れが残るのは困るので料理教室などは無理ですが、でも手芸サークルや読書サークルなんかでは十分に使えるスペースかと思います。
もし「趣味仲間はいるけど場所が・・・」という方がいらっしゃいましたら、ご相談下さい。

2011年4月14日木曜日

『事業仕分け』のその後

一時期、連日のようにテレビで放映され注目度が高かった『事業仕分け』。
耳慣れない事業に対して「コレは廃止」「 アレも廃止」と歯切れよく判定が出るため、非常に”わかりやすい”政策だったかと思います。

で、問題は「その後の動向について殆ど注目されることがなくなった」ということではないかと。
その当時はいろいろな分野の人が発言をしていましたが、最近で出てきた話題は震災に関わった『スーパー堤防』『学校耐震工事』くらいでしょうか?


さて、なぜ今さらこの話題を持ち出したかというと、
シグマゼミのリンク集には、進路学習に使えるサイトをいくつかピックアップしていたのですが、そのなかの1つ『キャリアマトリックス』さんが3月末でサイトを閉鎖しました。
このサイト、『労働政策研究・研修機構』 という独立行政法人が製作していたものなんですが、職業図鑑や適職診断など、キャリア教育に関わる情報が非常に充実していた良いサイトでした。
自分は高校勤務時の進路指導の際にはこれの前身である『ジョブジョブワールド』というサイトを利用していたのですが、いろいろな職業の方のインタビューも見れるなどして、中高生に職業観や目的意識を与えるという意味で他のキャリア教育サイトと比しても本当に有用な職業データベースだったのです。

そこが、事業仕分けにより廃止。

確かに、一般の人がここを見るという機会はないかもしれないし、需要は少ないかもしれない。
学校関係者の中でも知っている人使っている人はほんのひとにぎりで、ほとんど見向きもされないサイトだったのかもしれません。

でも、他にこれだけ充実したサイト・文献が見つからないという意味で、本当に進路指導には有用で不可欠なサイトの1つだったと思っています。

仕分けの理由などを見ると、まぁ確かに「資金の使いどころ」として怪しい部分はあるのかもしれませんが、でも、教育というのは本当の意味で国の将来に繋がる部分だと思うので、もう少し、価値のわかる方に評価していただきたかったと、強く思います。


廃止に関わる情報
http://www.net--election.com/news_pLVkEJWzv.html
廃止に関わって、Twitterでの発言まとめ
http://togetter.com/li/63459

2011年4月13日水曜日

誰もが来れる学習の場を

「家庭の所得と子供の学力の間に相関がある」とはよく言われることで、昨年なんかは実際に文部科学白書』に記載された報告についてニュースになったりもしました。
→ 文部科学省のサイト


さて、当然ですがこれには異論もあり、「高所得だからといって学力が高いとは限らない」「結局は本人のやる気次第」「家庭での指導次第」とも言われます。
まぁ確かにその通りなのですが、ただ、「所得の高い方が"様々な教育機会"を子供に用意することができる」というのは紛れもない事実だと思います。

例えば、私自身はつい先月まで学習塾に専任として勤務していましたが、そこではせいぜい年収300万止まり、月の手取りにして20万ちょいというところでした。
その収入で2人の娘を<自分の務めている月額20000円の塾>に通わせられるか?というと、正直、キツイです。
<1時間2000円の個別指導コース>っていうのもありましたが、まともに勉強させるつもりなら週に3時間は必要ですから 週6000円×4週で24000円。
そこでは 高校生対象に東進の衛星予備校も用意していましたが、そうなると月額5万とかがざらです。
いろいろ探してみると、例えば<医学系進学指導の予備校>では年額600万かかるともいいます。


もちろん、お金をかけて得たその機会が子供にとって最良のものかということはわかりません。
ただ、所得が低い家庭では選択肢自体が殆ど無いというのも事実ではないかと思うのです。

「べつにお金かけて塾なんて行かなくたって、学校で間に合うでしょ」確かにそうかもしれませんが、でも、本気で「もっと勉強したい」と子供が思ったとき、その場すらないっていうのはせっかくの機会と可能性を摘み取る事にもなります。

自分の家族の生活もあるので無償とはいきませんが、「せめて他塾と同じくらいの価格で、よりより学習環境を提供できたら」そう思ってシグマゼミの開設に至りました。

2011年4月12日火曜日

「教材費は?講習費は?」

シグマゼミを開設してから半月。
ほとんど宣伝もなされていないのに、ありがたいことに数名の方にご入会いただきました。
ご入会を決断される前に生徒さんのお母様とお話の機会を持つわけですが、当たり前ですが必ず聞かれるのは費用のことです。

シグマゼミでは「月額定額で何日でも何時間でも勉強していける」を売りに広告を作りました。
もちろん、別にやましい裏があるわけではなく、純粋に【困ったとき・勉強したい時にいつでも来れる場所】にしたかったからです。
と同時に、月額の費用も出来る限り【誰でも通える程度の金額】で抑えようとして設定います。
ところが、実際に問い合わせとしてあったのは
「高額な教材費を取ったりしませんか?」 「夏期講習などで莫大な金額が請求されませんか?」というもの。

なるほど。
考えてみると、家庭教師派遣会社では、安さ・手軽さを売りにしている一方で、莫大な教材費を請求するところもあると聞きます。
また、個別指導塾などでも、コマ単科は安くても「定着が良くないようなのでもう少し時間を増やしましょうか」などの理由でコマのかさ増しを繰り返され、なんだかんだで結構な金額になることもあります。
「〇〇講習無料!」と謳っていても、結局はテスト参加費やら何やらでそれなりの費用を取られるようなところもありますし。
そういった諸々の事例があった上で「塾は、なんだかんだと理由をつけて結局は高額な費用を取られる」のような認識が定着し、先の問い合わせ内容になるのでしょう。

大手がどんどん手を広げ、サービス内容を抜きに価格競争をした結果が「見た目は安く、実際には高くつく」という方法なのかと思うのですが、それによって学習支援業自体の満足度や信用がものすごく低下しているのではないかと。
※満足度の低さについては、実際に調査結果(サービス産業生産性協議会の調査)として顕著に現れています
http://www.service-js.jp/cms/news_attach/100316_CSI_news3.pdf

単純に「学生に良い学習環境を提供したい」と思っているのですが、信用がないためにそれがそのままは伝わらないというのは、本当に残念なことです。

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