塾に来ている中学生の定期試験の結果が戻ってきました。
3年生の生徒さんは、ここでも何度か触れた通り、もうそれこそ毎日びっしりの勉強で、教えている私の方が「こんなにやって大丈夫?倒れない?」と思うほどでした。
結果はというと、点数的には"大満足"とはいえないまでも半月程度でダァ~っとまくったわりには"まずまず"という感じ。
ただ、数学なんかではしょうもないミスもかなり見つかり、「落ち着いて取り組めれば9割取れただろうな」という印象。
数学・英語・理科あたりでは「教えた内容に対して理解不足での間違いはほとんどなかった」ことから今後の伸び代もかなり見え、私的には「今回はこの点数だけど、今後は大丈夫」という感じでした。
ところが、その生徒さん当人はというと「ダメだー全然ダメだー」の繰り返してでして、なんぼ私が「大丈夫大丈夫」といっても、「この点数じゃぜんぜん大丈夫じゃないー!」と。
どうも、「何点以上が評定5」という学校の先生の言葉が重くのしかかっているのか、点数がその基準を少し下回ったことに対してものすごく評価が厳しいんですね。
つまり、気にしているのは内容の理解度ではなく、点数=評価=内申点というわけです。
まぁ確かに、北海道の公立入試の場合、内申点の比重が非常に大きいので、入試で点数を取る力よりも内申の良さの方が重要視されてしまうんですよね。
つまりそれは「定期試験で点数を取る力」なわけですが、ただ何度も繰り返してますが、その定期試験や評価基準がいいものかどうかは元教員の立場から見て非常に微妙なわけです。
そしてこの内申点、恐ろしくいい加減なことに、同じ市内であってさえ学校によって評価基準が雲泥の差というくらいに違う。
ある地域を基準にみて実力(入試での得点力)的にどう考えてもDランク(評定オール4)くらいだろうという子が、ある地域ではA・Bランク(評定オール5に近い)だったりしますから。
ところが入試本番となると、同じくらいのランクの子が集まる中での競争ですから、最終的には得点力の方がものをいうわけです。
そして高校進学後に要求されるのは、入試のような試験でキッチリ点数を取れる力の方です。
大学入試では内申点なんて推薦入試以外では関係ないですから。
そう考えると、もちろん定期試験の結果それ自体も大切には違いないのですが、そこだけに固執していてはその先に控えているものの大きさがかえって見えなくなってしまいます。
そして、評定はこの1回だけで何かが決まってしまうというものでもありませんし。
「後から取り返せるだけの力が見えた」という意味で私的には「半月の成果としてはまずはヨシ」なんですが、そのあたりはなかなか伝わらないようで。
「もっと出来たはず、こんなんじゃ満足できない」というその気持ちは今後の頑張りにつながるのでとてもいいことなんですが、でもどっかで「よし頑張った、今回はコレが出来たからヨシとしよう」と自分で肯定的に評価をすることも、長い道のりの過程では大切だと思うんですよね。
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3 時間前
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