高校1年生が数学Aの教科書を開いてうめいています。
「センセー、この公式、意味分かんない」と指したのは、反復試行の確率というやつで、こんなやつ。
どういう場面で使うかというと「サイコロを4回連続して振ったとき、<1>の目が4回中3回出る確率は?」というような場面です。
サイコロは6通りの目の出方がありますから、1回しか振らなかったとすると<1>が出るのは1/6の確率。逆に5/6の確率で<1以外の目>が出ます。
「<1>が4回のうち3回出る」のであれば、逆に<1以外の目>は1回だけ出ますから、問題文は「4回振ったうち、1/6の確率で起きることが3回と、5/6の確率で起きることが1回起きた」ということですね。
ここまでで
ところが、(細かいところは省きますが)確率計算の場合、4回中3回と言っても、「どの順番で起きたか」を明確に区別して計算をします。
なので<1>→<1>→<1>→<1以外>の並びと<1>→<1>→<1以外>→<1>の並びは別物として計算しなければなりません。
ってわけで、 この並び方が通り。
これらの計算結果がでして、最初に書いた公式のそれぞれの文字は、
n:全部で4回サイコロを振るうち
r:<1>の目は3回
n-r:<それ以外>の目は1回出る
p:<1>の目は1/6の確率で出て、
q:<それ以外>は5/6の確率で出る
ただし、出る順番を区別するため、目の並び方を で計算してかけるというわけです。
とまぁ、ここまで説明して計算もある程度自分で出来るようになったのでヨシヨシと思ったら、その生徒が一言。
「で、この公式は覚えないとダメなんですか?」
いや、そうじゃないでしょ。。。
公式だけ見て意味も使い方もわからんくてさっきまで問題解けなかったのが、順々に考えて自分で解けるようになったんならそれでいいじゃない。
今自分で解くときに<公式に数字を当てはめる>なんて作業してた?してないでしょ?なぜそこで「公式の形」にこだわる必要があるの??
東急ハンズに行くといろいろな調理器具が売ってますよね。
それこそ「りんごの芯を取る道具」やら「栗をむく道具」やら「ハンドルを回すだけで刺身のツマが作れる道具」やら。
道具を色々揃えるのは趣味も兼ねてるからいいんでしょうけど、用途も分からない、しかもそこでしか使えない公式ばっかそんなに集めてどうすんの?と思うんですよね。
「そんなの使い方次第でナイフ一本でもなんとでもなるじゃんさ」と思うわけです。
何でもかんでも定式化して「公式を覚えろ。使い方をひたすら練習しろ。」というのは教え方として一番簡単です。
そしておそらく過去にそういう習い方をしてきたから「公式覚えなくていいの?」と多くの生徒が思うんでしょう。
でも、「なんでもいいから覚えろ・慣れろ」っていうのって、"授業"っていうんでしょうかね?
以前にも小・中学生版で同様の内容を書いていました。
こちらもどうぞ。 →数学の”公式”はただの道具です
最後まで読んでいただきありがとうございます。
教科書で枠に囲まれた公式群を丸暗記することに疲れた方、792-0490もしくは sigmaseminar@gmail.com までお気軽にご相談下さい。
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