2011年5月16日月曜日

なぜ理科を勉強するのか?

勉強しに来てくれている高校1年生が、ちょうど学校で周期表や原子核とかを学んでいるらしく、まぁその辺までなら覚えているのでと軽く説明をしていくと、
「なんでそんな見えもしない電子の移動とか考えないとダメなの?」という話に。

「そりゃ見えはしないが、でも静電気のパチっと来るのも電気が移動したからでしょ?」
「そうなの?」
「いや、、、ストローとティッシュを擦りつけてとか、中学2年で習っているはずだけど。。。」
「あぁ、離れていくとか引き寄せられるとか?」
「そうそうそれ。アレははじめは自分の中でプラス・マイナスのバランスが取れてた電気がどっちかに偏ったって話だったでしょ?」
「なんかやった気がするけど、わかんない。」

いや、こう書くとこの生徒が特別勉強していないように思われるかもしれないけれど、この生徒はストローの話を覚えていただけでもよく勉強している方。そうではなくて、コレがいわゆる普通の生徒の姿なんですね。
つまり、学校で習ったことや問題集で練習したことはあくまでも「学校で課せられる課題」や「試験で点を取る手段」でしか無くて、そこに対して<興味の拡がり>や<関連性を持った理解>というのがついて行っていない。
なので教科書の話は教科書の中で閉じており、現実世界の現象に結びつかない。

本来、理科という科目は身の回りの様々な現象に対して理性的に説明をつけようとしたところから発生したものだと思うのですが、なかなかそうは受け取られないようで。
「なぜ木は燃えると軽くなるのに鉄を燃やすと重くなるのか」や「なぜ呼吸をすると二酸化炭素が発生するのか」から始まり、果ては「放射性物質の拡散はなぜ危険なのか」や「ストロンチウムが体内に摂取されるとどういう事が起きるのか」まで、理科の世界は常に現実世界の現象を考察対象にしてきたはず。
特に高校くらいになると、きちんと学ぶと現実世界に起きているいろいろなことが結びついて説明がつくようになり面白くなってくる分野だと思うんですが、、、

せっかくこれだけ原子力発電所や放射性物質の危険性についての話題が毎日のぼっているのに、そこにほとんど触れることなく周期表だけ覚える授業って、どうなのかなと思ってしまうわけです。


ファラデーという人が150年前(!)に行った講演の記録が『ロウソクの科学 (角川文庫)』という本にまとまっています。
この方は電気分野で有名な科学者ですが、「ろうそくはなぜ明るく燃えるのか」ということを様々な実験を元にして素人の群衆に順序良く非常に分かりやすく説明していき、原子分子の考え方を導入し、最終的には・・・・・・・・・結論部分が秀逸なのでその辺は手にとって読んでいただくとして。
この講演の過程が理科教育のたどるべき道筋とその目標を非常に良く表している気がします。
お暇があったらぜひ目を通していただきたい本の1冊です。

価格は380円と、非常に安いです。
うちの塾にも置いておきますね。

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