2013年6月5日水曜日

「うちの教科担任、ハズレらしくて・・・」


もし無人島に流されたら、あなたはどうしますか?
 ・絶望感に浸ったまま延々と文句ばかりたれて餓死を待つ
   それとも
 ・死なないために何としても水場を探し食べられるものを見つけ出す
さぁどっち?
っていう、そういう話。

"良い授業"ってツチノコくらいレアらしいです

ある程度のレベルの進学校に多いんですが、
 「数学の先生の教え方が悪くて」とか
 「物理の授業がオワッテる」とか
 「日本史は教科書読んでるだけだ」とか
 「臨時で来た○組の先生の授業はすごく良かったのにうちの先生は・・・」とか、とか。
生徒から聞く学校の授業の様子っていうのは、まぁものの見事に否定的な意見が大半を占めます。
「○○先生の授業がすっごく面白くて」ってのはほとんど話題に上がらないですね。
生徒たちの声をだまって聞いてると「オマエの学校、大丈夫なの?」という感じになるほどです。

授業に"ハズレ"を感じるわけ

ただ、実際に学校で授業をしていた身から考えてみても、どれほど上手だと言われる人の授業であっても「好き/嫌い」も「合う/合わない」も、どうしたって無くなりはしないと思うんですよ。
ラーメンだってゲームだって授業だって、万人受けするものなんて、そうそうありはしません。

丁寧で易しめの授業ばかりをしていたら上位の生徒には「簡単すぎてつまならい」と言われますし、上位層に照準を当てた授業をしていたら下位の生徒はわからなすぎてイジケます。
まじめに授業を進めているだけでは「気が張って疲れる」と言われるかもしれないし、みんなに支持される楽しい授業をしている一方では「試験で点数が取れない」となるかもしれない。

だいたいにおいて、そもそも「面白い・楽しい」の基準すら人によって違うんです。
テレビのバラエティ的な笑えるバカ話を「面白い」(=funny) という人もいれば、知的好奇心をくすぐる高度な知識を「面白い」 (=interesting) という人も居ます。
私にとって面白いことでも、あなたにとっては「で?それがなにか?」くらいのことかもしれない。
そんなのよくあることでしょう?

だから、授業にしても、その場の生徒の基礎学力や理解のスピード、そしてモチベーションにもかなりの幅がある以上、それを上手くバランス取って全員に満足させるなんてことはなかなか難しい。
30人なりのクラスの全員を満足させられる授業を、しかも単発ではなく1年間コンスタントに継続するというのは、実際のところものすごく難しいと思います。

授業の上手・下手は何で決まるか

また、「あの先生は説明が下手だ」という場合でも、いろいろな事情が考えられます。

「1から5のうち、1・2までは中学校でやっているだろうから、授業では3から5を扱う」という授業に当たった場合、前提になる知識が1しかない生徒にとっては「あの先生は教え方が雑だ」となるでしょう。
もしくは「1から5のうち、1・2は教科書に書いているから予習しておけ。2~4を教えるからそれをもとに自分で5を考えてみろ。」という先生もいるでしょう。
荒いといえば荒いのかもしれないですが、でもそれを、教科書を開きも調べもせずに「あの先生は雑だ」というのは、やはり違いますよね。
こんな感じで、教え方が雑なのではなく、「実は生徒自身がそのレベルに達していないだけ」という可能性だって無くはないのです。
つまり「生徒自身の状況や要求がどうか」という部分と「教えている側が何を大切にしようとしているか」によって、授業に対する評価はガラッと変わるものといえます。

逆に、教員間の研究大会なんかではものすごく評価されている先生の授業であっても、対生徒となると生徒の実態が把握できず一方通行の授業しか出来ない先生だって居ます。
教師側から見た授業の巧さと、生徒側から見た授業の巧さでは、少なからずのズレがあるものです。
なので、どういうスタンスで授業がなされているのかをきちんと知らずには、軽々しい批判は控えるべきでしょう。
もちろん「クラスの数人にすら支持されないほど絶望的に授業になっていない」とか、「そもそも自習ばかりで授業すらほとんどしていない」とか、「明らかに間違った内容を教えている」などというひどい状況なら話は別ですが。

ちなみに、私的に「それはダメでしょ」という授業はこちら。→ 【何をもって"手抜き授業"というか】

「そうは言っても授業が役に立たないんだけども」

とは言え、現実問題として"合わない授業"は確実に有りますし、それを延々受けることになる生徒は大変です。
「合う/合わない」のどちらにしろ、中高生が学校で受ける授業時間は1日のうちの7時間。
自宅や塾や予備校で勉強するにしても、どうやったって学校の授業時間以上には時間は捻出できません。
であれば、「学校での時間をどう上手く使うか」こそ真剣に考えなくてはなりません。

実際のところ、授業から一歩離れた所(塾に限らず、例えば学校の職員室でもです)で教えていると、よくいるんです。
 「ここ、授業で飛ばされたからわからない」
 「授業で何言ってるかわからなかったからやってない」
 「やっぱりあの先生じゃダメだ」
こんなことをテストの直前になってから言っている生徒が。
そしてそういう生徒に限って「で、ココは試験に出るの?」と聞くと「いや、範囲かどうかもよくわからない。あの先生ちゃんと言ってくれないから」と。

もちろん、全てが全て生徒が悪いとは思いません。
致命的に授業が下手な教師も今までに何人も見ているし、自分の授業が万人受けするかといえばそうではないことも承知しているし。
それでも、生徒に対して「じゃぁさ、」と聞き返すのは「わからなかった時にお前自身は何をしたの?」ということです。
はっきり言ってしまえば「わかりにくいと文句を言ってる暇があるなら、自分で問題集でも参考書でもネットでも開いて調べろよ」と。

考える・調べる・聞く・整理する という技術

文句の多い生徒は、学校の授業をアテにし過ぎだと思うんですよね。
"授業"は基本的に教師から生徒に対して一方的に"授ける"ものです。
でも、"学習"というのは、一方的にあーだこーだ言われるだけでどうこうなるようなものではありません。
自分の頭で考え、わからなかったら調べ、解決しなかったら人に聞き、得た知識を整理していく中で、「自分でやりくりしていくもの」だと思います。
それを、自分での作業を放棄して「あの先生は授業が下手だから、俺が出来ないのはしょうがない」っていうのは責任の転嫁、甘え以外の何物でもないでしょう。

もちろん、授業が合わないことで本人の負担が増えるということは間違いありません。
授業で聞いたら一発で分るはずのところを、余計な時間かけて自分で悩むことにもなるわけですから。
でも、合わない授業にぶつかったのなら、もうそこはいくら文句を言った所でどうしようもないんですよ。
だったら自分の力でできるところまで食い下がるしかないじゃないですか。

「わからない」「アイツの授業はダメだ」という生徒に限って、教科書も資料集も開いていない、質問にも行かない、問題集も自分では解いていないというのが常です。
まずは自分の勉強の仕方をきちんと見なおすこと、そして、使えないヤツに当たってしまったなら、その時間をどう無駄にしないように利用するかを真剣に考えるべきだと思います。
進学校に入れるだけの頭を持ちながら、それすらせずに文句しか言わないのは、私から見たらただの怠慢でしかありません。

「この子、無人島にでも流れ着いたら、餓死するまで文句言ってるつもりなんだろうか。。。工夫して水場を探したり、魚を獲ろうとしたりはしないんだろうか?」
生命の危険はないとしても、本質は同じだと思うんですけどね。。。
膝を抱えてジーっと座って待ってる子がものすごく多いように感じます。

うちの生徒には、どうにかこうにか生き延びられる水場の探し方、釣りの仕方、火の起こし方を身につけてほしいなと。

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