2013年8月14日水曜日

夏の講習がひとまず終わりました、、、が、


道コンの採点結果も無事に提出し、夏の集中講座が終了しました。
とりあえず、指導側が倒れる前に無事終了できたようです(笑)
ある程度の効果を見込んで講座内容を作成するのはいいんですが、テキスト準備が最後の最後まで終わらず、数学なんかは生徒と同時進行で問題解いている感じでしたからね。。。
授業それ自体はそれなりの質を維持しているとは思っていますが、「もうちょっと始動を早くしなきゃ」やら、「分野の偏りを何とかしたい」やら、「生徒への当たり方自体をもうちょっと考えなければ」やらと、反省点は尽きません。
というわけで、「こんな感じでしたよー」という報告を。

学校と同じ事だけしても、ダメでしょ?

通常のうちの塾は個別にカリキュラムを組んでの指導になっているため、夏・冬・春の長期休暇期間だけは、あえて一斉授業の時間を大量に組み込んで居ます。
これは、私がどの程度のレベルを要求しているかをきちんと見せるためでもあるし、同学年の他の生徒さんがどれくらいできているか、どこら辺りでつまづくのかを共有するためでもあります。
この3年、毎回似たようなコンセプトで教材を組んでいるため、何度か参加している生徒さんにはおなじみな感じなんですが、慣れない生徒さんにはどうにも意図が伝わりにくいようで。

例えば、国語にしても英語にしても、漢字の練習や英単語の書き取りや単純な文法の反復問題は「自分でやっとけよ」というスタンスで居ます。
数学の単純な計算問題もそう。
説明すべきこと、確認しなければならないことは山ほどあるんですけども、どのレベルでやらせるべきかってのはその時点の理解度によって全然違いますからね。
「デキている子をさらに伸ばす」ってことを考えると、どうしてもその辺りの基本部分は「自分でやれるところは自分でやっとけ」になります。

じゃぁ一斉指導のレベルはどの辺になるかというと、道コンで言えば偏差値55辺りから。
偏差値60に到達し、突破するためには、学校の授業と同じ事をただひと通り流すような説明だけでは無理ですからね。
国語なら『論説文の読み取り方』、数学は『方程式の文章題の立式』や『関数の融合問題』、英語は『長文を前から読んで意味を取っていく方法』なんかに集中することになります。
要は、学校ではほとんど扱わない、もしくは軽~く流して通過してることを徹底的に掘り返して苦手意識を潰そうという感じですよね。

そうすると、当然ですが慣れない生徒は「こんなこと、学校ではやってない」となるわけです。
そこでまず「そうか、こういう考え方をすればいいのか!」となる生徒と「んなことしなくても、学校ではそこそこ点数取れてるしー」っていう生徒にわかれますね。

「意外とデキてるかも」の認識が甘すぎる

そう、、、べつにね、道コンSS60なんて行かなくても学校の評定は『4』とか『5』とか、かるーく付いちゃうわけですよ。
で、中高生あたりだと多少の反抗期も入ってますから「俺(私)、大してやらなくてもそこそこデキるしー」なんて変に自信たっぷりなわけです。
「Cランク」とか言っただけで「あ、新川くらいなら余裕で入れるんじゃない?」とか思ってますからね。中学生は。
多分、高校生だってそうでしょ。
なんか知らんけど、「頑張れば北大くらいは行ける」とか思ってますよね。進研模試でSS55すら怪しいのに。
でも、大半の生徒は「学校の評価なんてなんの指標にもならない」なんてことは考えたこともないわけで、本当にデキてる人ってのを知りもしないで言ってるだけ。
はっきり言って、余裕かましてる生徒ほど、実際にはわかっていないしデキも悪いし、まず伸びないです。
なので、講座の狙いの1つは、その余裕をぶっ壊すところにあります。
口悪く言えば「まだできない問題がこれだけあんのに、なに余裕かましてんの?」という感じ。
「褒めて伸ばす」って言うけど、、、ま、学校でさんざん褒められてるでしょ?評定4とか5ついてるなら(笑)

こんなこと指導しました。でも真似はしたくないみたい。

そこで「根本からきちんとわかるため」に2コマかけてひたすら方程式を文章題から立式させるような講座なんかを用意するわけですが、まーまー言うこと聞かないですね(笑)
「いきなり立式しようとするな、必ず文章の内容を図や表に整理しろ」
「関数は必ず式や交点、出せるものはグラフに書き込んでいけ」
「作図は、まずはコンパス持たないで描きたい目標の図形を下書きしてから考えろ」
「論説は2つのものを対立させて書いてる場合が多いから、印つけながら読め」
「前置詞は後ろに必ず名詞があるから、読みにくいものはカタマリごとに区切れ」
「I think・・・ の後ろには主語動詞の揃った文章が来るから、[ ]で囲っとけ」
これらは全部授業の中で言って、実際に板書しながらアレコレ書き込んで見せているものですが、、、道コンの試験監督してみると、生徒たちの問題用紙のキレイなことまぁ(笑)

講習では私自身が問題を解く場面でどう解いているかをそのまんま伝えているんですけどね。
だって、講習テキストの問題を解く場面でも、採点用に道コンの問題を解く場面でも、ある程度の問題だったら未だに見せてる通りにやってますよ、私。
ひと通りわかっていて教える側に立っている私が「書かなきゃ間違う」「書いたほうが解きやすい」と思って書いているものを、なんで生徒って省こうとするんでしょうね?
あ、もしかして、「そんなことしなくても八反田よりデキるしー」とでも思われてんの?(鬼笑)

つまり、デキるためには手間をかけなければならないのに、そこの手間をものの見事に省きたがる。
省いてもデキると思ってんのか、単に面倒だから省いてるのかはわかりませんが、実際の試験で点数を取れてない時点で「デキもしないくせに、なんで手を抜こうとしてんの?」と。
それくらい認識が甘いのです。

学校の先生はあんまり辛辣なこと言わないと思いますけどね、でも、試験なんてその場その場の一発勝負ですから。
「今回はたまたま点数が悪くて」とか言ってる時点で、どうせ次でもできやしませんて。
そんな言い訳を聞いてくれる入試があるってんなら、別にいいんですけどね。

かけている手間や時間が決定的に違う

じゃぁ実際にそこそこデキてる子はといえばどんな感じか。
中途半端な成績の子と決定的に違うのは、まず第一に頭を使っている時間の絶対量です。

例えば分からない問題に遭遇したとき、上のレベルの子はテキストの前の方を見返したりして、なんとかしてヒントを探そうとします。
じっと待つということをしないんです。
もしかしたら3日前のページを見ながら「そういえばこんなことやってたなぁ」ってだけかもしれない。
でも、その思い返す時間って、軽くではあれ復習しているわけですよね。
一方、大半の子は「待つな。探せ。」と言ってもボケーッと待ちますからね。
その時間は思考していないといえます。
5分もボーっと他のこと考えて待ってたら、そりゃぁさっき解いてた問題のことなんてキレイに忘れますて。

授業の外でも、大半の子って、授業が終わるとすぐに別なものに意識が移りますよね。
例えばケータイだったりゲームだったりテレビの話だったり。
授業の中身についてしつこく考えたり追求したりしないし、普段の会話に勉強に関わることってまずもって出てこないですよね。
でも、上位の子って、何気ない会話してても、話題がいつの間にか勉強に絡んだ方面に行くことも少なくないんですよ。
「そういえば、これってこの前やったアレみたいな感じですよね」とか「この次の試験って範囲どうでしたっけ」みたいに。

べつに「常に知的な会話をしろ」とは言わないし、実際それほど中身のある会話をしているわけでもありません。
でも、そういった勉強方面のことを気にしている時間の量が、できる子と伸びない子ではおそらく決定的に違っているんですよね。


中位から上位まで、幅広い生徒が集団で居る中で、そういった辺りを多少なりとも感じ取ってもらえたら、またちょっと今後の取り組みも変わってくるかなぁなんて思いながらの講習でしたが、、、
さて、お盆休み明け、生徒さんたちの内には何が残っているでしょうかね。。。
まぁ、、、放っておいてもデキる子ってのは、どういう与え方をしても何かしら得て帰っていくものなんですが、そうはいかない場合の方が多いですからね。
中位の子になんにも残っていないようなら、冬休みはやり方自体を変えないとなぁ。。。


って、、、あ~あ。
「半月間の講習、よく頑張ったね!」って書こうと思ってたのに、コレだもんなぁ(苦笑)
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