2013年9月16日月曜日

裸の王様にならないように


photo by jessleecuizon

Twitterで全国のいろいろな学校や塾・予備校の先生の発言を見ているんですが、ほんとうに面白いんですよね。
今も『関係代名詞の指導法』について何人かの先生の発言を流し読みしていたんですが、新しい視点に触れられることも多く、勉強すべきことはまだまだあるなぁといつも思います。

教室は閉じた空間

さて、私自身はあちこちの私立中高で常勤・非常勤として10年近く勤務していましたが、その間に、生徒以外の人、例えば同僚の先生方や保護者に授業を見せた回数、さてどれくらいだと思います?
その内の5年間は専任として勤め、学級担任をしていた時期もありますが、誰かが授業を見に来たというのは、おそらく10回あるかないかくらい。
それくらい学校の中では「他の先生の授業を見る/見られる」という機会がないんですね。

公立校では校内研修や研究会の中で公開授業を行うこともあるでしょうけど、私立にはほとんどそういったものもありません。
大学卒業以来、指導案(1コマの授業での指導シナリオみたいなもの)をきちんと書いて公開授業したのって、たった2回です。
その1回は新任時代に理事長が見学に来るからというので普段通りの授業に指導案だけ付けたものですが、もう1回は父母参観のために普段の授業の延長としてちょっとした飛び道具的なイベント授業を用意したもの。
つまり、職員室で隣に座っている先生も、同じ数学科の先生も、あれこれ話は聞くけれど、普段どんな授業を展開しているかというのはほとんどわからないというのが実際のところです。
その後、学習塾でも授業をしてますが、これまた、最初の研修時を除いては授業見学ってことはほとんどなく、ほぼお任せ。

ということは、授業内容や指導の方法について、誰がどんな授業を展開していても、あれこれ指摘されることはほとんどないということになります。
良いもなければ悪いもない。
授業って、それくらい評価されること自体がないんですね。

定期点検の要らない仕事?

これ、ものすごく危険なことだと思っています。

新任から何年か経つと、同じ内容を何周も指導するわけですから、ある程度の指導の型というのが出来てくるんですよね。
その型が出来上がってしまうと、教科書、問題集、自作のプリント、それらを意図的に変えない限り、極端な話、同じ話を10年し続けても授業としては成立してしまう。
実際、、、勤務時代「○○先生の板書って、私の時と全く同じだよね。まだあの冗談言ってんのかな?」みたいな話は卒業生からもちらほら聞きましたし。。。(苦笑)
それくらい、授業だけしている分にはある意味では年度更新が必要ないわけです。

ところが、まぁ当たり前の話なんですが、どの教科にしても同じ内容を教える場合でも、アレコレを見ているうちに新しい視点が入ってくる場合が結構あるんですよね。
あの問題よりこの問題の方が本質的な内容に切り込みやすいだとか、こっちの教え方の方が話が通りやすいだとか、今まで話していた例よりもっといい例が見つかるだとか。
場合によっては、自分が教えていた内容が微妙に勘違いしていたということだってあるし、英語や国語の場合、文法事項自体が時代とともに変わってしまうことすらある。
でも、自分で積極的にしようと思わない限りはそういった知識や技術の更新すら必要ないという。。。

つまり、ここで、積極的に情報収集に励んで日々授業を良くしていくよう研鑽する人と、とりあえず目の前の授業を終えることに終始する人とにきっぱりと分かれてしまうわけです。

きっかけはいつも生徒が作る

その自己研鑚、絶対に必要なことではあるのだけれど、意思をつなぐのがほんとうに難しい。
なにせ一切のチェックがないですし、しかも生徒達の前ではたいてい私らはものすごい物知りということになっている。
教えている以上、学校の教科書程度の中身であれば知っていて当然で、本当はそれ以上のものを知らなければならないけれど、でも生徒たちからしてみれば問題が解けるというだけでもスゴイ人に見えてしまう。
教室という閉鎖された空間には、実力を過信して自惚れてしまうにはもう絶好の環境が整っているわけです。
そこで「まだまだ自分は力不足で、もっと知識を蓄え、指導技術を高めなければ」と思えるかどうかが指導者の質を分かつように思います。

で、それは一体どこで気付くのか。
もちろん、Twitterなんかを見ている時でもあるんですが、なにより一番は生徒とのやりとりの中でです。

別に高度な質問をぶつけてもらう必要はなく、ほんの何気ない質問の中でも、考えさせられるものはいくらでも転がっています。
できる限り「これはこうと決まっているの!」とは言いたくないから、アレコレ例を考えたり的確な整理をしようと考える。
話をしている途中で自分でも「おや?」と思うことがあり、そこで説明を修正してみたり、あれこれ言ってる途中で突如もっといい例を閃いたり。
これがものすごく面白い。

そういうのって、PC前で教材作ってる時にはなっかなか思いつかないんですよね。
そして、一方的に授業をしているだけでも絶対に気付かない。
あれこれの会話をし、すぐ横でどんな風に解いているかを観察し、想定外のところで突っかかってくれるから、こちらも新鮮な気持ちで新しいことを考える必要があるし、そのおかげで自分の力量不足も認識できるし、さらに知識を増やそうと勉強しようという気にもなる。
この新鮮さがこの仕事の何よりの楽しみだったりします。


まぁ、正直なところ、日々の仕事に追いかけられているとなかなか勉強のためのまとまった時間は作れないんですけど。
でも、それでも、英語の参考書を買いあさったり、大学初年度程度用の物理や化学の解説書を買ってみたりしてるのは、「俺、そこまで習ったことないからさぁ」っていう言い訳をできる限りしたくないからですよね。
自分にできないこと、わからないことが多々あるのなんてわかりきってますから、それならせめて「わからなければ本でも読んであれこれ調べて勉強すりゃいいだけでしょ?」ってのを見せたいなと。

そういった泥臭い努力を見せるのも、仕事のうちだと思っています。
自分がろくに勉強しても居ないのに、生徒に対して「もっと勉強しろー!」なんて、説得力のカケラもないですもんね。

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