■photo by kenteegardin
9月も終わりに近づき、学校のカレンダー上ではそろそろ後期。
中3生は受験に向けての総合ABCが始まり、高3生はAOや推薦入試の本格化・センター試験の出願、高1生は文理選択を迫られると、まぁ否が応でも将来についてアレコレ考えなければならない時期に入りました。
うちの塾では4ヶ月くらいおきに3者面談の日程を組んでいるのですが、どのタイミングで面談をしても進路に関わる話は避けて通れません。
で、面談の際に聞かれて非常に返答に困るのが、表題の『いい学校』ってやつです。
行きたい/行かせたい『いい学校』
進路選択の面では、やはり、「出来ることなら『いい学校』を選びたい/選ばせたい」というのが親・生徒本人・そして私、全員の願いのはず。ところが、問題なのは、何をもって『いい学校』と表現するか、その基準が私、学校の先生、親御さん、そして生徒さん本人、みーんなバラバラだということ。
ある人は進学実績を見て「なんてすごい学校なんだ!」と驚き、
ある人はカリキュラムの独自性を見て「ここの授業は面白そうだから行くに値する」と評価し、
ある人は部活の充実度を見て「ぜひここの部活で活躍したい!」と決意し、
ある人は宗教に基づいた心の教育に対して「難しい青年期に心もしっかりと鍛えてもらえる」と感銘を受け、
またある人は生活指導の厳しさを見て「しっかり指導してくれる」と期待します。
でも、そこに関心のない人から見たら?
私のあなたの考えている『いい学校』像なんてのは、「学校に何を求めているか」に依って他の人から見たら簡単にひっくり返ってしまう、いわば想像上のものでしかありません。
そんなことは言っても目立つのはやはり進学実績?
とは言え、塾通いをしている方からすれば『いい学校』の基準で大きいのは、やはり進学実績でしょうか。でも、進学実績の見方ひとつ取ってみても、見ている場所はきっと人によって違います。
例えば、次の"進学実績"だけを見てどう思います?
<A高校>
北大へ毎年150人規模で現役で入学し、札幌市内の大学への進学が8割、浪人はほとんど出していない
<B高校>
北大への入学者こそ100名程度だが 関東圏への進学が5割以上を占め、医学部狙いで2浪・3浪する生徒も少なくない
さて、どっちの学校を『いい学校』と判断しますか?おそらく「この情報だけからは判断できない」と思うんですよね。
でもこう振られたら多くの人が「どっちがいいかなぁ?」と考えるはずです。
実際、道内の多くの高校が学校説明会やパンフレット等で一番デカく打ち出すのはこの「北大への進学実績」ではないかと。
そして、札幌近辺の私立学校の大半が売りにしてるのも「進学重視コースの設置」であり「その実績」だというのも間違っていないでしょう?
でも、その進学実績の数字の裏には"実在の生徒"が居るはずです。
その学校で日々生活をしている生徒の様子、ちゃんと想像できていますか?
先のA,B高校に次のような情報を加えてみたらどうでしょう?
<A高校>
比較的収入層の低い地域の学校で、塾・予備校などの校外での学習にお金をかけられる金銭的余裕のある家庭が限られているため、大学選びも地元志向が強い。
<B高校>
収入層の高い地域の学校なので、小学校からの塾通いが当たり前で、多浪することにも首都圏への挑戦にも私立医学部への進学にも経済的に耐えられる家庭が多い。
かなり印象が変わりますよね?つまり、進学実績は数字としては非常にわかりやすいですが、その一方で、その裏に隠れている生徒像をすべて隠してしまい、学年の全員をたったいくつかの数値だけでかなり雑な形でまとめてしまっているわけです。
もうちょっとリアルな話
先程は家庭の経済面という観点をかなり極端にして出してみましたが、似たようなことはいろいろ考えられます。例えばそうですね、よくある『特別クラス』という設定。
できる生徒たちを集めて特別クラスを作るというのは最近ではありふれた手法ですが、そこでは他のコースとの差別化として教科書を難しい物に変えたり、1日の授業のコマ数を増やしたり、部活加入を禁止して放課後や土曜に全員参加の講習を入れたりします。
でも、考えてみてくださいね。
私立高校の入試の選抜基準なんて、大概は甘めですから、「入ったはいいけどギリギリついていける程度」という生徒だって確実に居るわけです。
その生徒にとって<難しい教科書・ハイスピードの授業展開・部活禁止での強制講習>ってどこまで効果があるんでしょう?
逆に、非常に優秀な生徒が居た場合、強制講習の質が期待ほどよくないという場合も考えられます。
実際、これは手前味噌ですが、某学習塾に勤務している時に講習の担当より私の方が数学の指導が良かったって言われたこともありますし。
でも彼は平日は19時近くまで学校に拘束されるため土曜の夕方くらいしか塾には来られませんでした。
そうなると、強制の講習は自分の学習を縛り付ける足枷にしかならない場合もあるわけです。
まぁ非常に極端な話ですけども。
宿題にしてもそう。
ココでも何度か書いていますしTwitterでもしつこいくらい書いていますが、多けりゃいいってもんじゃないんですよね。
生徒の実態に合った適正な素材の宿題を課すのであれば効果的ですが、ただ単に大量の課題だけを課すのであれば、それは練習ではなくただの作業、場合によっては自分独自の学習を妨げる足枷にしかなりません。
つまり、『アレコレ用意してくれている学校』という像は、それにマッチした生徒にとっては『充実した教育施策』として映りますが、そうじゃない生徒にとってはかえって時間的拘束を増やすだけでマイナスになる場合もなくはないのです。
数字だけに固執しないように
このように、自分が何を求めているか、自分にとって何が優先されるかによって『いい学校』像なんてのはいくらでも変わり得ます。宿題や課外講習など何から何まで用意してくれてお膳立てしてくれる代わりに拘束が多い学校が合っているのか、それとも学校で用意しているものはそこそこでも自分の活動に余裕があってアレコレ選べる事の方が自分に合っているのか。
そこは、当人が「学校に何を求めているか」によって大きく変わってくる部分です。
過去にも多くの生徒さん、そして保護者の方とあれこれ話しをしましたが、どうも『いい学校』の評価基準が進学実績の"数値"に偏っていることが少なくない気がします。
「できれば偏差値の高い方から順番に」「あそこがダメならこっちで」という感じに。
でも、きちんと調べてみると、学校によって全然雰囲気が違っていたりするものです。
数値だけを追いかけると、入学してから「あれ?」と思うこともポロポロと出てくるものです。
「実績が高いから、あれこれしてくれているいい学校」かと思えば完璧な放任で生徒が勝手に学校外で勉強して自分で実績を上げているだけかもしれませんし、一方で「実績はいまいちだけど、教師陣が一丸となって生徒を支えている学校」もあるかもしれません。
そこはもう、実際に足を運んで空気を感じてみないことには知りえないことだと思います。
そしてそのどっちがあなたにとっての『いい学校』かも、あなた以外の人にはわかりません。
高校受験にしても大学受験にしても、受験情報誌をめくるとそこには数値化されたランキングが載っているものですが、進学実績や偏差値の高さだけで選ぶのではなく、自分の足・目を活用して自分にとっての『いい学校』を探してみることが大切だと思います。
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