前回の記事を書いてからのここ数日、いわゆる「頭のいい子」に対してどういう指導をすべきかっていうのをずっと考えていました。
考えていたというか、正確には前々から考えていたことをメールのやり取りや会話の中で改めて言葉として組み立て直していったという感じなのですが、さて、うまく伝わるでしょうか。。。
「頭がいい」とは何を指すか
そもそも、中高生でいう「頭のいい子」ってのは、そうじゃない子と何が違うのだろうかと。人によってイメージも表現もかなり違うと思うんですよね。
ある人は「あいつ数学の難しい問題めちゃめちゃ解けるよね。頭いいよなぁー」と言うし、
ある人は「あいつ何でもかんでも正確に覚えてるよね。頭いいよなぁー」とも言う。
つまり、思考力に対して言う場合もあれば、記憶力に対して言う場合もあるんですよね。
私の場合は、要領の良さに対して言うことが多いのかな。
「あの面倒そうな仕事をこんな短時間で片付けたの!?頭いいんだなぁー」という感じに。
もしくは、難解な理論を自分の言葉で説明できる人に対して「あんな"わけのわからないもの"をちゃんと自分の言葉にするなんて、頭いいなぁ」という感じかな。
まずはここが問題で、だいたいの場合において、自分の思っている「頭がいい」と自分以外の誰かが思っている「頭がいい」では、きっとイメージが違っているんですよね。
なので、話の前提を統一にするために、「頭のいい子」のイメージを私の方に合わせてもらって、ここでは「要点を短時間で理解し頭に放り込める、学習効率のよい子」としておきます。
「学習効率がいい子」のアドバンテージ
この、「学習効率が良い」という能力は、どんな勉強をさせても作業をさせても、そうではない人との間に大きな差を作ります。例えば中学3年生に『2次方程式の解の公式の使い方』を同じように教えたとしても、遅い子は2日かけて練習しても符号のミスをしますが、速い子は20分でほぼ完璧に仕上げます。
同内容を同じように教えても、人によってそれが出来るようになるまでにかかる時間が大きく違っているんです。
きっと、図にしたらこんな感じ。
遅い子がアレをやってコレを思い出してと学校が要求する定期試験のレベルに時間をかけて到達できるかどうかって時でも、賢い子はいとも簡単にあっさりと学校の試験レベルを越してしまいます。
これはもう、それまでに習っていた内容の思考の経験や記憶によるものなので、速くしたいと思って速くなるようなものではありません。
学校では中間層の子に速度を合わせるでしょうから、最上位の子はどんな活動をさせたとしてもたいていは時間が余ります。
となると、課題をさっさと片付けることが出来た後、あいた時間をどう活かすか、ですよね。
他の子が1時間かかるところを15分で終えてしまう子がいれば、その子はあとの45分で別な問題にとりかかることも遊ぶことも出来る。
別の問題に取り組んでいく子は他の子よりも解いてる問題の幅が広いですから、「あいついろんな問題解いてんだなぁ」というイメージに近づきます。
それが頭の中での理解の深さにつながっていって、最終的に「あいつは難しい問題も解いている。スゴイ」となるわけです。
一方、15分で片付けた後ぜんぜん違うことを始める子の場合は「あいつ大してやってないのによくできるよな」というイメージになるのでしょう。
こちらも、いろいろな物事に挑戦できる時間がありますから、理解の幅が広がって、いずれは「あいつなにげにいろいろなこと知ってるよなぁ。スゴイ」ってなる。
ほら、どちらも「頭がいい」のイメージとさほどかけ離れてはいないでしょう?
つまり、私の中での「頭がいい」の理解は、「学習経験を活かして、すべきこと・要求されたことを短時間に終わらせられる」ということで、それは「知識を深くも広くもしていける"自分の時間"を作り出せる」という面で非常にメリットが大きいと思っています。
塾に行くのは「時間を作るため」
この「時間を作る」という観点で考えると、わざわざ時間をかけて塾に行くのは「習得にかかる時間を短くするため」と言えます。ちょっと逆説的ですね。
例えば、2次方程式 $ax^2+bx+c=0$ の解の公式: $x=\frac{-b\pm\sqrt{b^2-4ac}}{2a}$ 。
何も考えないでいきなり「公式はこうです。はい使ってみましょう」なんてやったら、符号ミスをして、ルートの中の計算をミスって、約分で間違えて、マイナスの扱いがわからなくて、で結局、1時間以上かけてアレコレ間違ってもなぜ間違うのかが分からなかったりします。
でも、
(1) $x^2+7x+2=0$
(2) $x^2-5x+3=0$
(3) $x^2-3x-5=0$
(4) $x^2+6x-2=0$
(5) $2x^2+5x-3=0$
(6) $-2x^2-x+1=0$
これくらいの段階を経て指導すれば、15分もあれば間違いの原因はだいたい潰せるんですよね。プロの方は出題意図がわかるでしょうけども、
(1) 単純に代入の確認とルートの中の計算
(2) 計算に慣れる $b$の符号に注意させる
(3) $c$の符号によってルートの中の計算が足し算になることに注意
(4) 計算に慣れたあたりで、ルートの簡略化と約分
(5) 因数分解が可能な、ルートが消えて有理数になるもの
(6) マイナスをかけて$a$を係数を正にしておくもの
計算ミスの原因をワンステップずつ潰していくと、こんな感じですよね。「解の公式だけで6問も説明するの?」と思う方も居るでしょうけど、私の中ではコレが一番時間のかからない最短ルートです。
ここまでを15分かけて説明すれば、あとは自分で注意事項を確認しながら解き慣れるという段階になる。
早い子だったら5分~10分でほとんどミス無く計算慣れします。
つまり、学校や塾で指導を受けるということは、まともな指導であれば、暗中模索の独学に比べ習得までにかかる時間を格段に縮めることになります。
おそらくこれが、問題集や通信添削を1人で解いて頑張るのと、コツや考え方のポイントを聞ける相手がいるということの一番の違い。
最低限覚えなければならないこと、繋げて整理しなければならないこと、よくある間違い、気をつけるべきポイント、そういったものを演習の中から自分で色分けして行くというのは、ものすごい時間と労力がかかります。
だからそれらを先回りして「コレは重要」「コレは後回し」「ココはアレと一緒に解いとけ」「ココはこういう勘違いが多いから気をつけろ」と色分けしておき、生徒の学習効率を上げることが私らの仕事ではないかと。
「全部覚えろ」や「ここからここまで全部やっとけ」はいかに仕事をしていないかという証だし、全員一律で宿題が多いというのがいかにナンセンスかということになります。
「自分の時間がある」ということ
前回も書きましたが、出来る生徒に対して変わり映えしない類題を数多く渡したって、はっきり言えばそんなの時間の無駄なんですよ。能力の高い彼らは、習ったその時点でパッと練習しちゃって要求した内容の9割方は仕上げちゃうんですから。
出来る子に対してそんな単純で発展性のない反復練習をさせるんであれば、とっとと他の内容に移るなり、より深めるなりした方がよっぽどいいと思うんですよね。
じゃぁ、うちの塾で自分の時間を作り出せた子には何をさせるべきか。
ある程度しっかりやって、私がチェックして大きな穴がないのであれば、それは、さっと帰ってあとは図書館でも行って本を借りてくるなり、動物園でも美術館でも山でも海でも行ってみればいいんです。
塾で行う問題演習なんて、彼らにとっては所詮は定期試験の点数を5点変える程度の効果しかありません。
前回も書きましたが、要求レベルの9割を15分で終わらせられる子が、残り1割を潰すのに躍起になって3時間かけるって方がオカシイと思うんですよね。
それであれば、下を向いてプリントとにらめっこしている時間があるなら、前を向いて横を向いて世の中のアレコレをもっと眺めてみなさいよと。
自分の能力を伸ばすってのは、まずはそういう多方面に向けてのアンテナを張ることからだと思うんです。
そうしたら、きっと突き詰めて勉強したいってものもいずれは見つかるはずし、頭の中のいろいろなものがリンクしてもっと大きな理解に繋がるはずですから。
じっくり悩んで時間をかけて取り組むべきところには十分な時間をかけ、ぱっと切り上げられるところは切り上げて次のステップへ進む。
何でもかんでも時間をかけることや長時間机に向かうことがいいわけではなく、そのメリハリが大切だと思います。
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