2012年6月9日土曜日

何をもって"手抜き授業"というか

私が人に何かを教える場合、どの科目のどんな内容でもそうですが、その前に必ずすべきことがあります。
授業でいうと下準備の段階、質問に答える場合ではその瞬間にすることですが、そのすべきことは「選ぶこと」です。

複雑化する原因をそぎ落として目標をシンプルにする

例えば、中学生に計算中心の練習をさせたい場合では、
「ここは計算の手順を正確に身につけさせる段階」と思ったら分数などは入れないでしょうし、
「手順は慣れてきているから、どんな数字でも動揺しないように慣れさせる段階」と思ったら、あえて分数を混ぜて「分数でも整数でも手順は同じでしょ」ということを強調します。
英語の過去形の説明をするのでも、
「動詞の語尾に-edをつける」ということが定着する前に、「sutdyの語尾はyをiに変えて・・・」なんて始めたら混乱するのが目に見えてますよね。
なので、どの動詞を最初の例に使って、それがクリアできたら次は何を見せようかと、ある程度選びながら話をするわけです。

このような感じで、教えたい内容や理解させたい・到達させたい目標がある以上、その段階に応じて優先順位を決め、順序良く提示していくことが、教える側の義務だと思っています。

だから、その生徒の基礎知識というか知っている内容によって、どこから話をすべきか、どこまで深めるべきかも選び、順序を考えます。
生徒にとって「わかりやすい」というのは、この選び方や配列が絶妙で、途中でギャップを感じることなくスムーズにレベルを上げていけることを言うのだと思います。
もちろん、この作業、自分の中で授業のスタイルというか重要視する部分がきちんと明確になっていなければできない作業ですし、生徒の理解をパッと把握する必要がある。
だからこそ、腕の見せ所だと思うんですよね。

「まるごと覚えろ」は単純化という作業を放棄した結果

もしこの作業を完全に放棄して授業をするとどういうことになるか。
わかりやすい例が「ここからここまで、問題全部やっておけ」とか「ここ、全部大事だからとにかく覚えて」という指示です。
結果としていずれは全部の問題をやるにしても、"今すぐやるべき問題"と"それが完璧に仕上がってからやった方がいい問題"があるはず。
それに、覚えるにしたって、効率的な覚え方・まとめ方というものがあるはずです。
それを一切考慮しないで「とにかくやれ」「とにかく覚えろ」というのは非常に簡単。
簡単というか、そんな指示なら勤務初日のアルバイトだってできますわ。

つまり、私に言わせれば、「問題集の15ページから25ページまで、(基本も応用も入試問題も全部まとめて)これ全部来週までにやっといてね」という宿題の指示は、問題の軽重や難易も判断できないようなド素人か、もしくは、自分ではそこにどんな問題が掲載されているかすら確認もしていないのに「とりあえずやらせときゃいいだろ」と自分の職務を放棄したいいかげんな人の所作としか思えないのです。

でも、うちの生徒の様子をみる限り、中学・高校ともに、そういう雑な指示を受けて宿題に追われまくっている子の多いことまぁ。。。

教育業について給料をもらっているプロならば、プロとしてもうちょっと教育的意義のある時間の使わせ方・課題の与え方を考えて欲しいもんだと、苦行や嫌がらせとしか思えないような生徒の課題を見るたび苦々しく思っています。
「勉強をさせる」のを仕事だと思っちゃうと、とにかく宿題を出さないと安心できないんでしょうね。
でも、自分で課題を見つけて勉強できる人にとっては、いい加減な出され方をした宿題ほど邪魔くさいものってないんですよ。

もうちょっと指導の質にこだわってくれないものでしょうか。。。

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