2013年10月8日火曜日

志望理由書にどこまでこだわるか

photo by mortimer?

前回、「AOって、全部が全部、『出せば入れる』なんて簡単なもんじゃないんですよ」ということを書きました。
まぁ、、、AOの文字から「アホでもOK」とか「どーでもAO」とか揶揄されることの方が多いわけですが、でも、上位大学ではかなり厳しい審査があるというのは前回も書いたとおり。
今回はその審査の一つに当たる、"志望理由書"について。

志望理由書で何を見るか?

「志望理由なんて、埋めればいいんでしょ?そんなに重視されるの?」と生徒からは聞かれるんですけども、、、
まずは試しに、大学の先生の立場で、学生を選抜するつもりになって考えてみてくださいね。
下の2人が応募してきた場合、文面だけを見てどちらの生徒により"期待"しますか?
<Aさん>
私は伊勢物語の研究がしたく、文学部に入りたいと思っています。オープンキャンパスで感じた、開放的で明るい雰囲気や学生たちの活発そうな様子に惹かれ、ぜひ御校で勉強したいと思いました。

<Bさん>
私は以前から平安時代のかな文化、特に紀貫之の土佐日記に興味がありました。御校の山田先生の研究テーマが『源氏物語と平安の政治体制』と知り、文学としてだけではなく歴史的背景と絡めて深く学びたいと思いました。
今即興でテキトーに書いたたった2~3行の志望理由ですが、さて、どちらが好印象です?
おそらくBさんですよね?
ではその判断基準はどこにあるでしょう?

Aさんの志望理由って、どこの学校に対してもコピペできると思いませんか?
つまり、「べつにうちの大学じゃなくてもいいじゃん」というのと「なるほど。だからこの子はうちの大学を選んだんだな!」というのとでは印象がまるっきり違うわけです。
(まぁ、こんな程度じゃとてもじゃなく甘いですけど。2行だからしょうがないってことで。)

志望理由書は生徒に対する期待を測るもの

先の2例の前に「どちらが"期待"できそうか」と書きました。
大学の先生方にとって、学生の質の低下っていうのはもうここ何年も言われ続けていることで、おそらくウンザリしてると思うんですよね。
データの分析やらすにも数式の処理ができなかったり、まともにレポートが書けなかったり、ディスカッションでもだんまりだったり、図書館で本すら探せなかったり、挙句、バイトばっかで授業にも参加しなかったり。
そんな中で「この子は頑張ってくれそうだ」と人物像に対して期待して合格させようっていうのがAOなんですから、読んだ先生に淡い期待感すら抱かせられないならその時点で失敗でしょう?

書き方のアプローチはいろいろだと思うんですよ。
そこに「学校の雰囲気が~」とか書いても悪くはないのでしょうが、でも、本来、大学には学問をしに行くわけで、そんなの学問に全く関係ないじゃないですか。
もちろん雰囲気の良さを売りにしている部分は少なからずあるでしょう。
その雰囲気の良さから「ディスカッションが活発に行えそう」とか何らかのものに繋げることが出来るのならまぁアリだとしても、でも、それを限られた行数の中に敢えて書くかといえば、もっと他に書くことがありますよね。

以前もどこかで書いた気がしますが、「自分の学力に合っていたので受験しました」というのは志望理由とは言いません。
それは「まぁ他に受けれそうなところもないし、しょうがないから受けただけです」と堂々と主張してるのと何らかわりません。
志望理由とは「この学校にどうしても入りたい」というこだわりのことを指すわけで、それが見えない志望理由は評価には値しないと思うのです。

AOはオーディションです

今回、「出願者が30人超で1次の書類審査に通過したのが10名、2次審査を通過して最終的に合格したのが5名」っていう非常に厳しいAO入試を受ける子が居るんですが、そうなるともう、最初に提出する書類の出来がほぼ合否に直結するようなものです。
提出書類は「志望理由書、活動の報告、TOEICの成績、その他」なんですが、まず志望理由書の内容が「大学は義務教育じゃないのに、なぜ行こうと思うのですか?」という、要は課題小論文的なもの。
そして「その他」と言いつつ「身の回りのことを題材に疑問に思っていることを自由に書いてください」という、、、「自由に」といったって、どう見ても小論文というか課題研究レポートそのものです。
それをですね、たった数時間でパッと書き上げて「ハイできました」なんていうレベルで考えてたら、そんなの読みもせずに落とされるに決まってるじゃないですか!
書類審査を10人しか通過していないっていう段階で、その難易度というか、要求されているレベルをこちらもしっかり推し量るべきなんです。

で、今回それを全くしなかったのが高校の先生たち、、、
私が「こんなの全然ダメだろ」といったやつにも「こんな感じでいいんじゃない?」とか言ったらしいから。。。orz
そのいい加減な「いいんじゃない?」で、生徒の合否が分かれるんですけどね、、、
いや、添削したからって通るってもんでもないかもしれないけどもさ。
でも、多少は通る確率上がるよ?そこって全力で修正かけていくべきところじゃないの?
まったくこだわりもせず論理構成もテキトーに数時間で書いたものと、情報収集からしっかりやって2週間練り続けたものとだったら、同じ生徒が書いたものでも全然違いますよ?
現に、アレコレ指摘してかなりかっちりと書かせた後で学校の先生に再提出させたら「だいぶ良くなったね!」とか言われたらしいけれど。
最初にその「いいんじゃない?」を真に受けてたらそれ以上の改善はなかったっていう自覚や反省はどこにもないんですかね?

と、まぁそれはさておき、
大学によってはそれくらい厳しい選考があるわけです。

それはまるでなんかのオーディションのようなもので、審査員からしたら、大量に送られてくる書類からほんの一握りの「光るもの」を見つけようとしているような感じだと思うんですよね。
そこはもう、『悪い方に目立たない限り決して落ちることのない私立高校入試の面接』とは決定的に違う部分、つまり、『いい方向に目立たない限り、審査員の目に止まらない限りはフツーの受験生に分類されてしまう』わけです。
それをね、「とりあえず埋めればいいんですよね?」って、そんな簡単に考えていいはずないだろ!って。

というわけで、時間をかけて悩みましょう

なので、資料選考で落とされる可能性があるのであれば、「なぜそこに行きたいか」「なぜそこでないとダメなのか」を全力でアピールする必要があります。
なにせ、提出書類で目を引かない限り、下手をすれば面接で質問に答える余地すら与えられないわけです。
でも、審査官に「この生徒には直接会って話を聞いてみたいな」と思わせるだけのものを限られた紙幅に盛り込むってのはそう簡単なことではありません。
だから、まずは「なぜそこにこだわるのか?」という自己分析をしっかりすること。
どういうきっかけでその学問を学びたいと思い、なぜその大学を選ぶことになったのか。
「別に他の大学でも良くね?」っていうツッコミに耐えられるだけの材料を自分の中で持つこと。
そして、それをきちんと相手に伝えられる形で表現すること。

それを徹底して悩みぬいたら、「学食がキレイで~」なんてことを書くスペースはきっと残されていないと思います。


今回、あーだこーだとダメ出しをし、一緒になってあれこれ考えた提出書類。
なんだかんだで半月以上の時間をかけました。
かけた時間が長けりゃいいってもんでもないですが、最終的にはそれなりにまとまったものになっていたように思います。
あとは、なんとかそれが選考に残ってくれることを願うだけです。

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