2012年2月29日水曜日

やはり気になる定期試験

元教員で出題者の側だったからでしょうけど、どうしても定期試験の出題が気になります。
「塾の先生ならそんなの当然だろ。うちの子の塾でも過去問集めて対策してるぞ」と言われそうですが、私の場合は「うちの生徒が点数を取れるか取れないか」ではなく、「何を出題してるのか」という方に関心があるんですね。

以前ここなんかにも書いてますが、「そんな事を試験で点数化することになんの意味があるの?」と思うようなことがしばしば。
今回槍玉にあげられるのは、某高校の情報科の試験です。


”情報科”という科目は10年ほど前の教育課程改訂で
情報及び情報技術を活用するための知識と技能の習得を通して,情報に関する科学的な見方や考え方を養うとともに,社会の中で情報及び情報技術が果たしている役割や影響を理解させ,情報化の進展に主体的に対応できる能力と態度を育てる(指導要領の原文まま)
という目標で新設された科目です。
情報A/B/Cと3種類ありまして、Aは基本的なPC操作を、Bはプログラミングなど高度な操作を、CはPCを利用したデータ分析やプレゼンテーションと、情報モラルやネット社会の問題点など、社会科的な要素が多く含まれています。

私が学校で指導していたのはCですが、この教科で大切なのは「情報機器を上手に使って問題解決していくこと」「これからの情報化社会に上手に対応していくこと」であり、「操作方法に熟知すること」や「マニアックな知識を身につけていくこと」ではないはずなんですね。
なので、パソコンの実習は「こんなことができて便利なんですよ」というのを生徒に実感させるのが目的なのであって、「ここをクリックするとここがこうなって~」なんていうPC操作を中心に教えるのは科目の意義からは外れるということになります。
なにせ、パソコンのパーツを買いに行ってみたらわかると思いますが、中途半端に知識を身につけたところで太刀打ちできるものではないですし、そもそも、10年も経ったら今の知識の大半は時代遅れですから(笑)
繰り返しますが、この教科で大切なのは「自分の力で調べる方法を知り、機器をうまく利用しながら少しでも問題解決のための能力を身につけること」だったりするわけです。


さて、それで。
情報Cの試験問題を見てみたところ、表計算ソフトExcelの画面を提示した上で「この計算をさせるための”計算式”を書け」という出題が。

え~と、Excelを使ったことのある人ならわかるのですが、ここでいう計算式というのは「=if(C3>50,"合格","不合格")」や「=vlookup(D2,$A$1:$D$4,2)」とかいうものです。
でも、これって、実際にExcelを使う場合には、普通は「ガイドに従ってマウスでポチポチ選択していくもの」なんですよね。
そして、関数にしてもヘルプがついていて、わからなければヘルプを参照すれば事足りる。
それなのになぜ計算式を「手書き」させる必要があるんでしょう?

先にも書いたとおりですが、情報科の授業の大きな目標は「情報機器の運用能力を高め、うまく活用できるようになること」なのです。
そう考えれば、Excelの関数式を手打ちできることよりも「わからなかったらヘルプを調べる」「ネットで関数の一覧を探す」「試行錯誤して上手い方法を見つける」という能力の方がよっぽど重要だと思います。


定期試験や入試というのは、一面では生徒を試すものなんですが、もう一面「こういうことを生徒に要求してます」「こういう力を生徒に付けさせようとしています」という指導者側の主張でもあると思うんですよね。
それが、見てみると「コレではなぁ。。。」と思うことがあまりに多い。

自分の手法が何かにつけてベストだとは言いませんが、それにしても、もうちょっと科目の目標だとか指導の意味だとかが感じられるような試験にはならないものかと思ってしまいます。

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2012年2月28日火曜日

「”平均 ”を理解しない大学生」?

数日前、社団法人・日本数学会が実施した『大学生数学基本調査』という調査の結果が報道されました。 
実際の報道はこちら
 http://sankei.jp.msn.com/life/news/120224/edc12022423040001-n1.htm
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120224-00000127-jij-soci

『大学生の数学力:24%が「平均」理解せず』 とまぁ、センセーショナルな表題で報道されたわけですが、、、 

さて、出題されたという問題をざっと眺めてみたんですが、いや、この問題、結構難しい(大学入試的な難しさとは違う意味で)と思うんですよ、実際。
 問題→http://mathsoc.jp/comm/kyoiku/chousa2011/surveyslip0955.pdf
 解答→http://mathsoc.jp/comm/kyoiku/chousa2011/answer.pdf

出題を見てみると、記事で槍玉に挙げられている【1-1】は”平均値”の統計分布的な意味を聞いています。
少しだけ”平均”について解説しますと、感覚的には「平均=真ん中」というイメージですが、これはデータがキレイに分布した場合の話。
例えば、年収500万の家庭が100軒ある中に、1軒だけ年収5億の人が入ったら、、、平均値は1000万ですからね。。。
こうやって飛び出たデータが含まれた場合は「真ん中」からは大きく外れてしまうという性質があって、今回の問題はその辺りの感覚を聞いた内容になっています。

「平均」については小学校5年生の算数で習うのですが、『単位量あたりの数』という小学生が最も嫌うであろう分野(人口密度や速度などもこの領域です)の延長として扱います。
学校や塾で生徒と対しているとよくわかりますが、計算問題の1つとして「平均=合計÷人数」という計算式だけは身につくんですが、その意味まではなかなか定着しません。
大人からすると「なにを?」と思われるかも知れませんが、数値に対する意味付けというのはなかなか難しくて、例えば、、、小学生に「”速度”ってなに?」と問われて「一定の時間でどれだけの距離を移動できるかを表したもの」なんて即座に答えられますか?
少なくとも「10分で7km進むなら、1時間ではその6倍進めるから、時速42kmだね」なんて答えられる生徒は(中学3年生でも)ほとんど見たことがありませんし、そうやって教えてる大人も見かけません。
型どおりに「速度は距離を時間で割ったもの」というところがせいぜいで、塾でも学校でも「は・じ・き」とかって書いてますもんね。
それと同じような感じで、”平均”も「すべてのデータが同じ値だったとしたら」 という仮想的な数値を考えているわけですが、そんな意味付けを意識しながら問題を解いている生徒はほとんど居ないでしょう。
なにかにつけてこんな感じで、「計算できる・問題が解ける」というのと「計算・数値の意味がわかっている」ということの間には、大きな開きがあるのです。

では、小学校の指導と訓練で「平均値が計算できる・問題が解ける」まで行けたとして、その統計的な意味付けはどこで習うかというと、実は習う機会は中学高校でもほとんど用意されてなかったんですよね。
ここ数年は新課程への移行期間ということで中学で統計処理の分野が復活しましたが、そこまでの10年間は、本当に統計分野の指導というのが中高で皆無、そもそも教科書になかったんですよ。(実際には高校の数学B・Cの教科書にちょっとだけ載っていましたが、そこは大半の学校で指導しないところでした )
つまり、この試験を受けた大学生の大半は”平均”の計算式は知っていて計算はできても、その意味付けなんて習ったこと自体・おそらく考えた事自体も小学5年生以来はないんですね。
そして統計資料を数学的に読み解くということもほとんどしたことがないし、要求もされて来なかった。

そういった事実を横に置いておいて「今の大学生は」という言い方をするのはちょっと筋違いでしょうね。

また、問題【1-2】の”論理”の話題も同様でして、「命題の逆・対偶」に関連しているこの内容も、「教科書読めばわかるでしょ」という感じで中学校ではせいぜい1時間、高校でも1時間程度しか扱わないというのが実情。

公務員試験などではよく見る問題ですが、学校の授業でちゃんと習ったという話はほとんど聞いたことがありません。
「『人は動物である』が正しくても『動物は人である』は正しくないよね?」という、アタリマエ過ぎる例を挙げて終わらせてしまうことが大半なのです。
考えてみて下さい、小1から高3までの算数・数学教育の中で、たったの2時間くらいしか扱われない内容。
学生によってはこの出題がどの分野に関わるものなのかすらも思いつかないでしょう。


そういった諸々の事情を考えると、報道を見た印象としては「今の大学生はヒドイわねぇ」という感想が大半だとは思うのですが、それを彼らの責任にするのはちょっと違うだろうと。
その前に、彼らに対してどういった学力観でどういった事を学校で教育してきたか、それを振り返る方が大切ではないかと思うのです。

我々は生徒や部下・子供たちに対して「そんなことも知らないの?」と簡単に言ってしまいますが、そもそも学ぶ機会自体を与えて来なかったということもあるんじゃないかと思うんですよね。

さて、、、今回の教育課程の改変で教科書的には統計分野はかなりの拡充がされたわけですが、これから10年後、この問題の正答率は上がるんでしょうか?
型どおりに問題の解き方だけを教えていたのではこの手の問題の正答率は上がらないと思っているのですが、、、 どうなるでしょう?

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2月も終わりになり、年度の交代時期になりました。
「1年の計は元旦に」と言いますが、新年度の準備は3月中に。
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2012年2月13日月曜日

人事を尽くしたら、、、


今来ている彼らとは、長くても半年程度の付き合い。
ほぼ毎日のように会っていても、伝えきれないことがどうしてもあります。

教科の内容を正確に理解させるということはもちろんですが、それよりも、大きな試練や選択を前にした時の緊張感や重圧、乗り越えた時の達成感や、場合によっては挫折感や無力感、そういったものを伝えるほうが圧倒的に難しいですし、そもそも、きっとそれらは自分で体感するまでは、どれだけ言葉として聞いていても正確には理解は出来ないでしょう。
高校受験が人生の中で自分で行う最初の"選択"だということは、生徒には機会があれば言っているし、通信などでもさんざん書いてはきていますが、それを実感として肌に感じるのは、入試本番とその結果という現実に向かい合う、まさにこれから。


明日は私立高校の入試日。
うちの大半の塾生にとっては「入試」という大きな試練を受ける、人生で最初の日になります。

以前から比べると「大半の生徒がどこかしらの高校に入れる」という意味では「試練」としての意味合いは小さくなっているかもしれません。
ですが、現実的に、受験校を選択しそれに向けて努力し、その結果として合否が出され、場合によっては努力が報われない場合もあると考えれば、試練に違い有りません。

教える側も教わる側も人事を尽くしたら、あとは当日の体調と出題次第。
最後は神頼み。
「今まで彼らが行なってきた日々の積み重ねが、納得の行く形で出しきれますように」
私の場合、自分に対してもそうなんですが、受かってこいとか、誰に勝てとかは言いません。
ただ、体調不良や過度の緊張で力が出し切れず、後から後悔し言い訳を作ることだけはないようにと思っています。


あれやこれやと口は出すことができても手伝ってあげることはほとんどできない、そんな立場の私としては、見ていていろいろと歯がゆい事の方が多いわけですが、
「生徒たちが1つ目の山に全力で向かった充実感を持ち帰ってきますように」
ここに来ては、ただそう願うばかりです。


2012年2月7日火曜日

「覚えられない!」に対しての回答 その2

昨日は、「とりあえず覚えることを減らそう」という提案でしたが、それにしたってそうそう減るもんでもないですね、実際は。
特に歴史なんかは流れの全体像を掴んでおかないといけないわけですし。
というわけで、今度は覚え方の実践編です。


「覚えられない」という生徒の勉強の様子を見てると、問題集や参考書のまとめや模範解答をじ~っと眺めている姿がとても目につきます。
同じ内容に出くわした時に今調べたことを思い出せるかどうかが大切なんですが、そういった生徒の大半は1週間もすれば調べた事実すら覚えていない。
「わからなかったらまずは自力で調べる」という姿勢までは悪くないんですが、問題はきっとそのあとで、調べっぱなし、そのまま丸呑みでどんどん次へと進んでしまうんですね。
だから「お前、コレ、3日前に似たような話をしただろー?」→「そうでしたっけ?」というようなことが頻繁に起きている。

「覚えられないのは」別に脳の機能的に物覚えが悪いからではなく、<覚えるための方法が悪い>もしくは<覚えるための努力をそもそもしていない>・<覚えるつもりが初めからない>のいずれかだろうと思っています。
そもそも覚えるつもりのない人については置いておいて、問題はその方法です。


学問的には認知心理学だかに当たるんでしょうけども、記憶をするには何らかの意味付けがなければ難しいですよね。
例えば、「”テダコハワカヒサア”を覚えろ」と言われても、まず無理。3分もあれば忘れられます。
こんな感じで意味を成さない文字列はほとんど記憶に残りません。
ですが「”アサヒカワ・ハコダテ”を後ろから読む」と覚えればパスワードにも使えそうでしょう?
覚えるためには意味付けが必要なわけです。

で、歴史の年表。
サイトでは特に案内をしませんでしたが、中3生を対象に冬休みの集中講座で歴史・地理の授業を持ちました。
が、歴史なんてここ20年くらいまともに勉強していなかったので、授業のために、まず自分で頭の中を整理しなければなりません。
そこで、手元の問題集を基に、出来事の因果関係を3・4冊の資料集・参考書・年表とネット検索を利用して整理し、ガンガン書き込んで行きました。
メモ書きなのでこの上なく雑ですが、でもこうして問題の数倍の情報量を整理することで、それぞれの事柄に関連性をもたせたわけです。
その次に、このメモを基にして自分で年表を作りなおして講座の教材にしました。
明治以降の近現代史を高校受験レベルまで整理するのに、作業としては2晩くらい(10時間程度?)かかっていますが、でも、そのおかげで自分の頭にはきちんと時系列と因果関係が整理された状態で入り、問題を解くにも困らない状態。
そしてここまで徹底してまとめ直しを行えば、後から軽く見なおしただけでもそれなりに記憶を蘇らせることができます。

”マンシュウジヘン”という言葉は、それ単体では1つの事象を表す文字列でしかありませんが、そこに「中国東北部の資源を狙っていた軍の満州侵攻の口実に」「軍部の独断を許した」「それに反対した首相は暗殺された」「国際的に孤立するきっかけに」などの意味付けが加わると、前後の事件に関連性ができます。
そして、その関連性がうまく構築されると、いちいち年号をひとつひとつなんて覚えなくても、
「満州事変」
→「連盟の脱退」=日本の孤立化
→「五・一五事件」「二・二六事件」=軍部独走=軍国主義体制へ
→「日中戦争の開始」
くらいの順番は答えられるようになるわけです。

そんなわけで、「覚えるべきことは少なくする」のと同時に「覚えるべきことは徹底して他と繋げる」ことが重要かと。
そしてそれを借りものではなく、自分のものにできるように最整理すること。
授業では歴史上の出来事の因果関係について解説を加えていったわけですが、生徒自身がこの流れを「覚える」ためには、多少なりともこういう作業を自分自身の手ですることが必要になることでしょう。
その手間を惜しまずに時間をかけられるかどうかが、結局は一番大切かと思います。

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生徒に「先生はスゴイ、頭がいい」と言われる度に、生徒にはこういったメモ書きなどを見せています。
彼らからは「問題を解けるスゴイ人」と思われていても、別に頭の出来が違うわけではなく、実際にはこんな泥臭い作業を生徒以上に時間をかけてしているってだけなんですよね。
ただ、こうした学習の仕方、時間のかけかたを見せてあげるというのも自分の役割の一つなのだろうと思っています。

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2012年2月6日月曜日

「覚えられない!」に対しての回答 その1

社会科の歴史の出来事や古文の助動詞の活用、物理では公式群、化学では無機・有機の物質の特性、それに英単語の用法などなど、中学・高校の学習では覚えるべきものが多々あります。
教育的には「丸暗記の勉強ほど役に立たないものはない」と思っていますんで、丸暗記でどうにかなるような試験を課すシステムにこそ問題があると思っていますが、まぁそれは今回は置いておいて。


シグマゼミでも、高校受験前の中3生が「年表がどうしても頭に入らない」と泣きそうになっていますが、覚えるためには何をどうすべきでしょう?

私の回答の1つ目は、「覚えることを減らす」コレに付きます。
とかく手当たり次第になんでもかんでも覚えようとする生徒がよく居ます。
ですが、<覚えるべきものがわかっていない>というか、<覚える対象を間違っている>というか、「覚えないといけないのはそこじゃァないだろ!」ということが往々にしてあるんですね。



<覚えるべきものがわかっていない>という一例ですが、数学で学ぶ直角三角形の性質に『三平方の定理』というのがあります。

 というやつですが、これをわざわざ斜辺がaの場合とbの場合とcの場合で「a2=・・・ ,b2=・・・ ,c2=・・・」なんて、3本覚えようなんて人は居ないはず。
「(斜辺)2=直角を挟む2辺の2乗の和」と覚えた方が簡潔ですし、本質的ですもんね。

さて、高校の数学Iの三角比という分野に『余弦定理』という『三平方の定理』を拡張したものが現れます。
上の三平方の定理のイメージと見比べると気付くかと思うんですが、この定理は「直角以外の角についても2辺と角の関係式から他の辺の長さを計算できる」というもの。
左辺の3項目に面倒そうな式がついていますが、形は大差無いですよね?

ところがコレを教科書では”どの角についても使える”ということからか 「a2=・・・ ,b2=・・・ ,c2=・・・」と3本並べて書いているんですね。
そのせいか、生徒は 「a2=・・・ ,b2=・・・ ,c2=・・・」と3本とも覚えようとする。
この定理、本当に大切なのはその用途なんですが、とにかく形だけ、しかも3本も(意味が無いのに)覚えようとするんですね。
ヒドイのは高校の授業の中でも「3本覚えろ」という指示が出ていたり、「余弦定理を3本書け」なんていう定期試験があったり。
「ぉぃぉぃ。もし、この3辺がp,q,rで与えられたらどうすんの?」と思うわけですが。


我々指導する立場の眼からすると、数学や理科の教科書のまとめ(囲み記事や太字のもの)には<覚えるべきもの>と<覚える必要のないもの>と<丸暗記するとかえって失敗するもの>があります。
ですが、習いたての生徒にはその区別なぞつくわけがありません。
そこで、その区別をしっかりつけ、「コレはこの形で覚えとけ」、「これは覚えたら失敗するから覚えなくていい」と指示することも我々の仕事の一つだったりするわけですが、どうも学校や塾の多くの授業では、なんでもかんでも「とにかく覚えろ」と言われるようで。


「そのまま丸暗記しろ」というのは、指示する側としては非常に簡潔ですが、学ぶ側からすると非常に効率が悪くなり、理解も進まなくなります。
「覚えることが多すぎる」と思ったのであれば、まずは<なんでもかんでも丸暗記>というのをやめ、<覚えることを減らす工夫>をしてみるのがいいかと思います。
多少の手間はかかっても、工夫をしているうちに 丸暗記では気付かなかったポイントが見え始め、理解が深まるということもおうおうにしてあるものです。

書かれたものをそのまま覚えるのはコンピューターの得意領域です。
しかし、人間の得意領域は「覚える」ことではなく「工夫できる」というところにこそあるのだと思うのです。

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とはいえ、その工夫の仕方がなかなか掴めないというのも事実でしょう。
うちの生徒さんにも、中高問わず「え?コレ覚えなくてもイイの?」と指導途中でよく言われます。
あなたもちょっとだけコツを探りに来てみませんか?

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